バンババン

文章だったらそこそこの
ものを書けるのですが、
やれ画像やレイアウトの美
的感覚はゼロなので、これ
から向上してゆきたいと思
います。
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ずるい女
 今日は朝から神戸へ行ってました。そして行き付けの喫茶店にあの娘がいました。けれど話しかけるチャンスがなく、今日も告白はお流れとなってしまいました。多分明日もシフトに入るだろうからがんばります。とにかく以前僕は女性に声をかけるとき、「男だから勇気を出して」とか、「男女の責任は男が負うべき」とか、男、男と見栄を張ってました。しかし今度は男女平等、女は男のほうから声をかけてもらいたがってるとは思うけど、女のほうからも積極的にアクションをかけてくれなけりゃ無理しない。という「どちらからともなく」惹かれあうというあえて困難な誘い方をしようと思ってます。そちらのほうが強引な言葉で口説くより、より深い関係が出来上がると思うからです。また女のほうにも一見ひ弱な男だと勘違いされかねますが、あの子なら実際にはより以上に愛情がある誘い方だと感じてくれるものと信じます。とにかくいままでの僕は女を幸せに出来ないのは、男が勇気がないせいとばかり思っていました。それは女(おんな)性善説と言う、女は社会的地位が低く、常に男よりは正しいことを言うもんだという考え方から成り立っています。しかし女も時と場合によっては間違ったことも言い、間違ったこともするのです。その視点に立って恋愛する時、時には女のほうからもっと近づいて欲しいという男の願いがあります。その声がわからぬ女には用はありません。そういう女は必ず、男がやさしくしているときはヘイヘイとついてきますが、ひとたび自分が損となればたちまち逃げてゆきます。こういう女は大阪に多い。いわゆるずるい女です。このずるさはオナニーのおかずにはなるでしょうが、ロマンとしていつまでも心に残ることはありません。そしてこのずるさというのは悪にさえ摩り替わります。その例として、男がおごってやるからと散々お金を使ったのに、女はその男からトンずらしようとしたとき、「さては俺を騙していたんやな」と逆上するパターンがあります。そのとき女は「お前がアホヤからじゃ」と姿をくらまします。そのときに男は気がついて目を覚ましても後の祭りというわけです。どうも大阪の女にこのずるさがあるように思えてなりません。もちろん男も男で、あれこれ飾り立てた言葉は建前で、本音は「ええ思いさえすればええんじゃ』というようなロマンティシズムのないのも大阪に多いような気がします。この男と女どちらも自戒し、反省せねばロマンティックな恋愛など出来ないでしょう。いい加減大阪は男においても、女においてもこのずるさに対抗する意志の強さや理論武装、そして怒り、憤りというものをもたねばなりません。さもなければ大阪にロマンチックな恋愛は成立しないでしょう。確かに大阪が好きで、住み心地がよいところだと思っている人にとっては失礼かもしれません。しかし神戸好きで、神戸が日本の中でも女性が最も美しく見える街だと思っている僕にはそう思えます。逆に大阪の女は日本で一番ずるいような気がします。それゆえ大阪を改革したい。もっと男と女が自然に寄り添え、信じあえるような街にしたい。それが大阪生まれでありながら、現在の大阪嫌いな僕の切実な願いです。
 
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