バンババン

文章だったらそこそこの
ものを書けるのですが、
やれ画像やレイアウトの美
的感覚はゼロなので、これ
から向上してゆきたいと思
います。
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大阪と神戸
 今日は何事においても今ひとつ乗れませんでした。特に調子の悪いときの頼みの綱、ウォーキングした後の喫茶「みかげ」での書き物も、昨日睡眠を十分にとらなかったので眠たくなり思うように書けませんでした。それだから今日は長居をせず、早めに切り上げて家路に着きました。
 さて明日は作業所からの大阪探険、鶴見区編です。今回は鶴見緑地の中をいろいろラリーして一時間半ほどウォーキングするみたいです。指導員の人はどんな工夫を凝らして僕たちを楽しませるラリーの問題を作ってくれたのでしょう。いまから楽しみです。何しろ「ここから見えるアメリカのシンボル的建築物はなに?」(難波のアメリカ村にある自由の女神)だとか、「ここの神社には何匹狛犬がいるでしょう?」だとかあれこれ探し回りつつ運動が出来るのだからこれほど楽しいものはありません。そして今回は鶴見緑地公園内、面積も広く散歩している人も多いので、誰憚ることなくウォーキングが出来そうです。その後はまた神戸へ行くつもりですが、大阪と神戸二つの都市を味わえ両方の良い所を感じ取れれば一番いいのですが。いままでの例から言って神戸の良い所が目立ち、大阪での良い体験は少ないです。皆さんは大阪と神戸の違いについてどう考えられますか?是非ともこの問題について語れる友達を作りたいのですが。
| バンババン | 大阪と神戸 | 22:32 | comments(0) | trackbacks(4) |
性の昇華
 今日は病院仲間の後輩と会ってました。まず阪神三宮で待ち合わせしフラワーロードを下ってそれから西のハーバーランドに向かいました。しかし途中で雨模様の雲がやってきて薄暗くなり、これは降られると困るということで急遽元町のほうへ向かいました。そしてジャンカラに入りました。しかし僕らは普段から音楽を親しみ過ぎてるので歌わずに、その密室空間で語り合いました。その内容は片思いの女との仲はどうなっただとか、携帯で出会い系をやっているけど、ポイントが不足してこれ以上しゃべれなくなっただとかたわいもないことです。しかしその中にも将来どうするのかということまで真剣なまなざしになり語り合い、話題は多岐に渡ります。ほんと彼とは猥談などのバカ話はしますが、時にしてこれから将来の展望のこととなれば真剣なまなざしで語ってきて圧倒されます。そういうところは若いっていいなと思います。
 さて明日からまた作業所がよいです。また幻聴が襲ってくるでしょうがそれを何とか若さで乗り切って、くじけないようがんばります。またそういう悪による嫌がらせは、先週土曜日に買ったサンドバックを使うことによって発散し、より芸術的に昇華しようと思います。学生の頃から僕のスポーツに対する姿勢は常に性的な欲望の昇華という形で行ってきました。確かに時にはそういう欲望を処理するため自慰行為も必要でしょうが、いつもいつもそれでは困ります。時にはその悔しさや苦悩やジェラシィー、コンプレックスをバネにして昇華することが大切です。その辺のバランスをとって生活していけば安定した暮らしにつながると思います。
| バンババン | セックス論 | 22:05 | comments(0) | trackbacks(48) |
どこか憎めない奴とバカ話
 明日は通院です。その後病院仲間の後輩と会うことになっています。果たして楽しいひと時となるでしょうか。彼は大の女好きで行く道で若い女性を見かけたらすぐに声をかけるようないわば滑稽なジゴロです。しかし案外素直なところもあって、わがままですがどこか憎めないところがあります。やることといえばウォーキングか、カラオケか、将棋か、雑談かそんなものですが興に入ると楽しいものがあります。それからこいつも猥談を含めたバカ話をカラオケボックスで歌を歌わずにすることがあります。とにかく防音設備が施してあるので、いくら禁止用語を使っても人にはばかることはありません。しかしいくら無礼講とはいえ相手のことを思いやる心を忘れたら、共感できるものにはならず単なるセクハラの泥仕合になるだけです。何とかその辺行き過ぎないように留意して楽しんで来たいと思います。
| バンババン | 徒然なるままに | 22:44 | comments(0) | trackbacks(9) |
いよいよお試し
 今日は昨日届いたサンドバックを組み立てていよいよ試してみました。回し蹴りを試してみたのですが思ったより部屋が狭く感じて、やはり自宅でやることの限界を思いました。そしてやはりパンチにはグラブがあるから大丈夫ですが、まだ慣れてないせいか蹴る際に脚の甲が痛みます。しかし六年前には慣れてくるうちに痛みも止んできた経験があるので、レッグガード(足の甲につける防具)を買うのはもう少し様子を見てからにしようと思います。まだ今日の今日なので効果のほどは未知数ですが、瞬発的集中力を付けたい。目を良くしたい。とにかく目の機能が老眼も進み、弱ってきていることを最近如実に感じます。この瞬発的集中力がつけば、話術にも影響してくるものと思います。そうすれば仕事にもプラスの波及効果が得れます。とりあえずこれを続けて効果のほどを期待したいと思います。これからが楽しみです。もちろん趣味の域を超えて、苦しい努力もしてみようと思ってます。そうでもしないと僕の場合満足できません。そういう性分なのです。これぞと思ったことには一心不乱に道を追及する求道者じみたところがあるのでしょう。しかし若い頃のように精神力は衰えてますが、その分込み上げる情熱でもってカバーし、継続してゆきたいと思います。
| バンババン | いよいよお試し | 22:12 | comments(7) | trackbacks(50) |
サンドバックで夢広げて
 今日は明日通信販売で注文したサンドバックが送られてくるので、それに使う砂を近くのホームセンターまで買いに行ってました。それはサンドバックの下部を、安定させるために大きくした部分に詰めるものです。ちなみに殴ったり、蹴ったりするところはウレタンが入っています。その砂はセメントに混ぜて使うよう様な何の変哲もない砂で十八キロ二百円程で売っています。しかし置く部屋を下がコンクリでしっかりしている一階の米屋の店に置くか、二階の自分の部屋に置くかを迷っています。どちらかというと二階におきたいのですが、重量が九十キロあるため床が抜けるかもしれないという危惧があります。しかしスペース自体は二階のほうが広くて、サンドバックを使いながら自由に動けるというメリットがあります。それはさておいて、いよいよ明日から使用できることを思うとワクワクしてきます。六年前にやった頃ぐらい力強く蹴り、スピードを持ってパンチが繰り出せるようになるためには何ヶ月か練習を要しましょう。そして瞬発力と集中力をつけて、勉強において特に話術に好影響を与えたい。また視力回復にも一役買いたい。そして何よりもここんところとみに衰えていた筋肉が蘇り若々しくなることに期待をかけています。サンドバックのことを考えると夢が広がります。
| バンババン | サンドバック | 22:16 | comments(0) | trackbacks(2) |
官能小説とサンドバック
 今日は作業所から此花区舞州にあるアミティー舞州というスポーツ施設にいったのですが、なんと十一日の建国記念日の代休で休館日でした。前にも二回そういうことがありほんとこのスポーツレクエーションには僕はついていません。そして指導員の指示で作業所へ行って作業ということになったのですが、僕は何故かやる気が起こらず一人神戸へ出かけました。そしてダイエーの七階にあるジュンク堂で本を読んでました。昨日も来ていたのですが、そのとき買ったのはなんと官能小説でした。睦月影朗の「官能少年―快感フェロモン比べ」と題するものです。いくら官能小説とはいえ、倫理性、道徳性のないものは単にグロテスクなだけで読む気がしません。しかしその睦月氏の作品はもちろん背徳的な魅力もちりばめられているものの、そこにはモラルがありセックス描写であればなんでもいいというものではないため僕にも許容できます。またなんで官能小説かというと、ぼくもHな文章を書くのが好きでしかしその語彙が乏しいのでそこから踏襲してやろうと目論んでいます。いままでそういう漫画はたくさん読みましたが、小説は時々電車の網棚に置いてあるスポーツ新聞を読むぐらいです。性器を指で広げてその名称を綴ってエロスを表現するのは何かグロテスクな嫌悪感を感じていたのです。しかし僕も年を取ったのでしょうか。何かそういうより中年っぽいエロっぽさがわかりかけて来たような気もします。ただ一方でいろいろな苦労を乗り越えて、最後結ばれるハッピーエンドストーリーにもまだ憧れはあり、決してセックスさえ楽しめればいいというエログロなオッサンとは一線を画します。とにかく官能小説に出てくるエロティックなボキャブラリーを踏襲して、自分の文章に引用したいのです。
 さてそれから昨日あたりから思っていることに、自宅にサンドバックを買って空手の練習をしたいと無性に思い出しました。そのサンドバックは上からぶら下げるタイプではなく、下に少し支えの大きな円形の部分を設けて座らせて使用するものです。だから家にも置くことが可能です。しかし母親も父親も今日聞いてみたところ、重さが九十キロにも上るため二階の僕の部屋に置いたら床が抜けてしまうといって賛成してくれません。しかし僕も親父も八十五キロありますが、その二人が一つどころに立っても床が抜けるようなことはなかったので十分大丈夫です。さて何とか説得出来るでしょうか。難しい問題です。そしていまから六年前に空手を習っていたことがあり、そのときにサンドバックを叩き、蹴った感触がいまになってすこぶる懐かしくなってきたのでした。やはりパンチにしろキックにしろその当てる瞬間の心地よさというのはやったものでしかわかりません。そしてそれはそのまま瞬発力と集中力の養成につながります。そしてそれは運動能力のみならず、集中力がつけば知的な話術にまで好影響を与えてくれるのではと換算しています。何とか手に入れたい。明日も説得してみます。
| バンババン | 官能小説とサンドバック | 21:20 | comments(0) | trackbacks(61) |
中年パワー(腰回復の兆候)
 今日は仕事を終えた後神戸へ行ってました。例のごとく阪神電車を魚崎で降りて御影までウォーキングし、行きつけの喫茶で読書と書き物をしました。そうしていつものごとく大阪で受けた幻聴の傷を癒してました。そして何よりも今日一番うれしかったことは、痛めてかれこれ一年半を超える腰の痛みが、ようやくここに来て完治ではありませんが、治り始める兆候を見せ始めたことです。傷めて以来出来なかった逆立ちが、壁の支えを借りてすが出来るようになりました。以前はその状態からひじを曲げてプッシュアップを十回出来ました。そこまでになるためにはまだまだ時間が必要でしょうが、徐々にではありますが何とか同じ程度にまで回復させることを企てています。そうすれば二、三週間前から言ってきた、瞬発力や集中力もトレーニングによって養うことが出来、読書や書き物の方面でもレベルアップが図れるようになるかもしれません。とにかく六年前の入院の時もぎ取られていった能力を少しでもいいから取り戻したい。その中に話す会話能力もあります。これを取り戻すことが出来れば、自分の創作した作詞をレコード会社に売り込むという営業能力をつけるのも夢ではなくなります。そしてそれに成功すれば収入にも結び付くゆえ、是非、是非何としてでも取り戻さねば僕の将来もありません。すべてがこの瞬発力、集中力の向上による会話能力アップにかかっています。そして上記した逆立ちですが冬には行っていると上半身の多くの筋肉を使うせいかポカポカ温かくなって、かなり冷える僕の部屋にはちょうどよい運動です。さてぼくも四十、この五月で四十一になりますが、僕の人生まだまだ道半ばです。現在の九重親方、元千代の富士が現役の最古老で頑張っていた時こう言ってました。「もう年だとかね、そんな言葉を使わないでまだまだ向上心を失わずにがんばっていきます。」と。確かに若い頃のように肉体はいうことを聞かないでしょうが、四十代には四十代の、五十代には五十代のトレーニング方法があると言います。世間には青春時代といってやたら若いことを持ち上げる風潮がありますが、中年にも若者にはわからない渋さ、ダンディーさを追求することが出来ます。僕も若い頃はもうこれで後衰えていくしかないなどと思っていた時期もありましたが、中年になってからも若い頃は出来なかったけど出来るようになったこともずいぶんあり、僕の人生もまだまだ捨てたもんじゃないと思えるようになって来ました。スピードや力の衰えで若者にバカにされることもあるでしょうが、その分何事に対するにおいても中年ならでわの円熟味で対抗したいと思います。「世の中年のバーンアウト気味の友よ。若いばっかりが能じゃない。中年の巻き返しで若いものの鼻を明かしてやろうじゃないか。」
| バンババン | 腰回復の兆候 | 21:56 | comments(2) | trackbacks(31) |
アホになって猥談
 今日はかつて病院で同じ釜の飯を食った後輩と彼の友達三人で神戸で会ってました。元町のジャンカラで全く歌を歌わず、蜜室で話し声がもれないのをいいことに、人が聞いたらひっくりがえるような猥談をしてはしゃいでました。その内容はその後輩の家によく行くのでそこのお姉さんやおばあちゃんをネタに、常識では考えられない想像力で猥褻話を作りました。その他腰を振ることはもちろんグラインド(旋回)させたり、とにかく卑猥なことをしゃべりながらアクションもありの、ほんと親が見たら泣くような想像猥褻行為をしていました。しかしやはりバカになるのもいいですが、少しは慎みをもったほうがよりHになることを今回のバカ騒ぎで学びました。だからあまりにもアホになりすぎて最後は幼稚っぽく、隠語を飛ばしあうだけの空虚なものとなってしまったのが今回の反省点です。しかしカラオケボックス、特に値段が格安なジャンカラは何も歌を歌うだけが脳ではなく、他にもいろいろな使用の仕方があることを今回も確認しました。僕も歌を歌うばかりでなく他の喫茶店のように人の行き来で騒がしくないのをいいことに、読書をしたり書き物をしたり大いに有効活用しています。それから魚崎にあるその後輩の家へ行って、彼はその友達とファミコンの「三国志」という軍人将棋みたいなゲームをし、僕はその間机で書き物をしてました。そして彼らが終わったあと、三人総当りで将棋をしました。僕が二勝してトップでした。そして四時過ぎに僕だけおいとまして、魚崎から御影までウォーキングをし、行きつけの喫茶店で書き物をして家路につきました。今日はいつになく充実した一日でした。ただ惜しむらくは冒頭でも言った猥談でバカ騒ぎしたのですが、やはりもう少し謹んで理性も使ったほうが、更により満足できる猥談が出きたのではと悔やまれます。今度は僕ももっと猥談の話術を磨いて、会話によって彼らを単に「アホヤ」と笑わすばかりでなく彼らの何をエレクトさせて、想像共感セックスが出きるようにその技術を研磨したいと思います。
| バンババン | 猥談仲間 | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
神戸女と大阪女
 今日はやはり神戸の行きつけの喫茶「みかげ」に尽きる。あそこで書き物をするとほんと落ち着ける。最後また幻聴もあったけれど、概して気持ちよく文章が書けた。ほんと大阪が地獄なら、ここは天国である。
 話は変わるが江戸っ子を「あほじゃ」とバカにする大阪の人間には怒りを覚える。僕も普段からしゃべる時まで江戸っ子の言葉を使いはしないが、カラオケの歌の世界では大いに使う。「江戸っ子だぜダンディー ちゃきちゃき東京」などという具合である。これは「シブがき隊」の「べらんめえ伊達男」の一フレーズである。大阪と東京どう違うといって、大阪が雑草、ガンバルマンであれば、東京は「この程度でいいだろ」という中庸の倫理を持っているところが目に付く。それゆえ江戸っ子は時には負ける。以外にひ弱である。しかしさすがに文化の街。負けたら負けたでかっこいいのである。そこに敗北の美学なるものが存在する。それは大阪では「あほや」なのである。そんな負けたら誰かが慰めてくれるという甘えの構造は大阪では通用しない。大阪には負けたらバカにされるという空気が蔓延している。ここが大阪と東京の違いである。それゆえ大阪は温かくて、東京は冷たいというのも一概には言えないのである。僕は時には負けてもいいという東京的甘えが好きである。それはがんばる。努力するなどという次元ではないのである。それは人への社会への期待が込められている一種の政治思想なのである。大阪のように「人、社会、そんなもの助けてくれるか。あほじゃ」というのと対称的である。またまた自分の生まれ故郷である大阪のことをくそみそに言っているが、ほんと大阪にいても楽しくない。神戸にいると楽しい。僕の文章の大前提にこの感覚がある。神戸の女は美しい。大阪の女は汚い。これはそのまま読めば差別言葉で訴えられるかも知れない。しかしここでいう汚いというのは見掛けが不細工で汚いというものでなく、男の言うことを聞かず男に魅せることのない大阪女が汚いといっているのである。神戸女は魅せるのがうまい。ほんと神戸の女を見ていると目はどんどんよくなるような気がする。しかし大阪の女を見ていると目が悪くなってくるのである。これは単にそれだけで済まされることではない。そしてその理由は視線そらしに他ならない。神戸では女に目を送ったらこちらを見つめ返してくることも少なからずあるが、大阪ではまったくと言ってない。その意味からも大阪の女は汚いのである。この言葉によって「君は大阪の女を差別している」というコメントを書かれてもかまわぬ。それを書いて来たら来たでこちらも反論する言葉を用意するつもりである。大阪の女の視線そらしによって、大阪の男たちの目がどれほど悪くなっているか大阪女は全く知らん顔なのである。なんとも思ってないのである。そんな汚い人間を女としてみたくない。それゆえに俺は何かあるたびに大阪女は汚いと書くだろう。大阪女が反省してましになったと見切りが付くまで。小泉首相ではないが、「俺はこのことで殺されたってかまわない。』そこまで命かけてこのことをましになったといえる日まで訴え続けたい。
| バンババン | 視力回復 | 19:35 | comments(0) | trackbacks(41) |
作業所仲間
 今日は作業所を終えてまっすぐに家に帰りました。そして一昨日購入した吉川栄治の「神州天馬侠」という歴史小説を読んでました。これは織田信長が武田勝頼を破ったときから、その遺子、伊那丸を主人公に、武田家のお家の再興を図る物語です。その前にこれまた吉川栄治の「新・平家物語」を読んでいたのですが、どうも僕には合わず読む意欲がわかないので途中頓挫してしまいました。大正末期から昭和の初めにかけて、大人も子供もこの小説に熱狂したという、大衆児童文学の記念碑と表紙の後ろのあらすじ,講評に書いてあります。僕は吉川栄治の何が好きかといって、何にもましてその格調ある文体が好きです。それを読んでいると思わずその行間から想像力の翼を広げれるのです。しかし吉川文学というと国民文学と言って、純文学とは区別されてやや見劣りして捕らえられがちです。しかしいまの日本の自由と平等の女社会に読むと、その封建侍文化と男社会を守ろうとするところが、反って新鮮に感じられます。もちろんその封建侍社会の中にも自由と平等の民主的風潮も含蓄されています。とにかくとりあえずはこの「神州天馬侠」全三巻を読破するのがいまの目標です。
 さて今日は作業所の友達宛に書いた手紙を彼の家のポストに入れておきました。彼はこの二週間ほど作業所に現れず、昨日家に電話をかけたら昼の二時過ぎなのに二階で寝ていて、そのお父さんも「これからどうするつもりなんやろ」と心配していたので、元気を出して励ます内容のものを書いて上げたのです。そうすると今日の昼から約二週間ぶりに作業所へ現れ、僕に手紙ありがとうといってくれました。その人は持ち家は持っているものの家の台所事情が悪く、両親の国民年金生活を強いられています。それだから自分のこづかいもほとんどなく、「爪に火をともす」とそこまで言うと反って失礼かもしれませんが、それに等しい倹約生活を強いられています。それゆえ僕が時々家に呼んであげてもてなししつつ、作詞や絵画やオセロや将棋を共にし自己啓発することを楽しみにしています。そして僕は将来的には作詞で収入を得たいと悠長に構えているのですが、その人の場合待ったなし、尻に火が付いているから大変です。だから何とかこづかい程度でもいいから生活費の足しになるバイトをする必要があるのですが、職についてもなかなか長続きしません。人を笑わしたり、作詞したり、絵を描いたりなかなか人にはない能力は持っているのですが、それが悲しいかな仕事には結びつかないのです。ほんとかわいそうな人です。しかしかといって僕といる時お金をせびるかというとまったくそんなこともなく、それどころか厳格に割り勘を守ろうとするゆえ、ますます助けたくなるのです。とりあえず作業所に毎日通っては、みんなをしゃれを言って笑わせる。それだけでも家でじっと引きこもっているよりましだと思います。明日作業所でどんなしゃれを言って笑わせてくれるか楽しみです。
| バンババン | 友達の輪 | 21:11 | comments(38) | trackbacks(0) |


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