2006.02.01 Wednesday
作業所仲間
今日は作業所を終えてまっすぐに家に帰りました。そして一昨日購入した吉川栄治の「神州天馬侠」という歴史小説を読んでました。これは織田信長が武田勝頼を破ったときから、その遺子、伊那丸を主人公に、武田家のお家の再興を図る物語です。その前にこれまた吉川栄治の「新・平家物語」を読んでいたのですが、どうも僕には合わず読む意欲がわかないので途中頓挫してしまいました。大正末期から昭和の初めにかけて、大人も子供もこの小説に熱狂したという、大衆児童文学の記念碑と表紙の後ろのあらすじ,講評に書いてあります。僕は吉川栄治の何が好きかといって、何にもましてその格調ある文体が好きです。それを読んでいると思わずその行間から想像力の翼を広げれるのです。しかし吉川文学というと国民文学と言って、純文学とは区別されてやや見劣りして捕らえられがちです。しかしいまの日本の自由と平等の女社会に読むと、その封建侍文化と男社会を守ろうとするところが、反って新鮮に感じられます。もちろんその封建侍社会の中にも自由と平等の民主的風潮も含蓄されています。とにかくとりあえずはこの「神州天馬侠」全三巻を読破するのがいまの目標です。
さて今日は作業所の友達宛に書いた手紙を彼の家のポストに入れておきました。彼はこの二週間ほど作業所に現れず、昨日家に電話をかけたら昼の二時過ぎなのに二階で寝ていて、そのお父さんも「これからどうするつもりなんやろ」と心配していたので、元気を出して励ます内容のものを書いて上げたのです。そうすると今日の昼から約二週間ぶりに作業所へ現れ、僕に手紙ありがとうといってくれました。その人は持ち家は持っているものの家の台所事情が悪く、両親の国民年金生活を強いられています。それだから自分のこづかいもほとんどなく、「爪に火をともす」とそこまで言うと反って失礼かもしれませんが、それに等しい倹約生活を強いられています。それゆえ僕が時々家に呼んであげてもてなししつつ、作詞や絵画やオセロや将棋を共にし自己啓発することを楽しみにしています。そして僕は将来的には作詞で収入を得たいと悠長に構えているのですが、その人の場合待ったなし、尻に火が付いているから大変です。だから何とかこづかい程度でもいいから生活費の足しになるバイトをする必要があるのですが、職についてもなかなか長続きしません。人を笑わしたり、作詞したり、絵を描いたりなかなか人にはない能力は持っているのですが、それが悲しいかな仕事には結びつかないのです。ほんとかわいそうな人です。しかしかといって僕といる時お金をせびるかというとまったくそんなこともなく、それどころか厳格に割り勘を守ろうとするゆえ、ますます助けたくなるのです。とりあえず作業所に毎日通っては、みんなをしゃれを言って笑わせる。それだけでも家でじっと引きこもっているよりましだと思います。明日作業所でどんなしゃれを言って笑わせてくれるか楽しみです。 |