バンババン

文章だったらそこそこの
ものを書けるのですが、
やれ画像やレイアウトの美
的感覚はゼロなので、これ
から向上してゆきたいと思
います。
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日記
 一昨日は友達同士で新年会みたいなことをやってました。大学時代に知り合った友達と二人で、阪急東通りの居酒屋で、僕は梅酒のロック、彼は麦焼酎をを飲みながらいろんなことについて議論し合いました。彼は家の二階の六畳の部屋の四方に本棚を置き、そこがいっぱいになるほどの本を並べる本の虫でもあります。そのおかげで政治や経済から雑学的なことまで知識豊富です。しかし当たり前といえば当たり前なのですが、思想の上で僕と少し性格を異にしています。その違いについて語ればいまここでとても語りきれないので、また後日に譲ります。
 さてそれから昨日は西宮で、礼拝とはまた違うキリスト教会の集会に参加していました。その内容はゲームをして、賛美歌を歌い、メッセージを聞いて、食事をして交わりのときを持つといったものです。何が面白いといって、若い女性もいて、その女性たちとも話が出きるというところです。それからメッセージも牧師の卵の僕らより若い子がやってましたが、その巧拙は別にして神であるイエスキリストに対する愛や思いは伝わってきて崇高な感情も生起して、なかなか良かったです。
 そして今日は昼まで寝た後、神戸へ行っていました。いつものスケデュールを辿っていたのですが、読書も書き物もどうも調子に乗らず、ずっと苦痛でした。しかし三十分のウォーキングの後、最後の御影の喫茶店でようやく調子を取り戻し、まずまずの書き物が出来ました。苦痛というのは幻聴のことで絶えず、若い者をねたんで邪魔をする神戸的親父の声がしてました。その喫茶店は上島珈琲という名の店ですが、そこでの幻聴が他のどこよりひどいものがあります。そこの周りの人間からまだ僕のことを理解されていないようです。しかし最初に行くドトールや最後に行く喫茶「みかげ」ではうまく行くのだから、ここ上島珈琲も努力次第で周囲の情勢は変わるはず。諦めることなしに頑張って行きたいと思います。
 
| バンババン | 日記 | 20:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
紅葉狩りと告白
 今日は作業所の行事で、仕事を終えた後京都の清水寺に紅葉狩りに行きました。花金で道路は渋滞していたのでバスには乗らず、阪急四条河原町から歩いてゆきました。三十分ほど歩いてちょうどいい運動になりました。さてその清水寺ですが上空に青いレーザー光線が走っていて、そして赤い紅葉がライトアップされてとても美しく芸術的でした。五重ノ塔も聳えていて、世界遺産でもある法隆寺の五重ノ塔とどちらが高いかなと比べてしまいました。ちなみに戦争で消失しなければ大阪四天王寺にある五重ノ塔のほうが法隆寺よりさらに古いものだったということを雑学として覚えています。しかしやはりカップルで来ている男女が羨ましく、特にミニスカートに網タイツなんてはいている女性を見かけると思わずそれに目がいってしまいました。もう師走を間近に控えて冷え込むかなと思ってしましたが、案外歩いていたらちょうどよい気温で、厚手のジャンバーを着て梅田の地下街などを歩いていると反って暑くさえありました。 
 さて明日は神戸の喫茶店で狙っている娘にお茶を誘って見ようと思っています。うまく行くでしょうか。前にも言ったようにもうすでに二言、三言話してつばをつけている娘で、僕がその茶店に行けば会釈をしてくれるという仲です。後は僕のほうから告白のアクションをかけるかどうかで恋愛劇が幕を開けるかどうかがかかっています。いまから考えても心臓がバクバクいっています。どうか、神様、仏様、お天道様。僕の願いをかなえてくださいとおすがりするばかりです。

| バンババン | 日記 | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
アクセスカウンター
 今日は仕事休みでした。それはさておき、僕もアクセスカウンターを作りたいのですが、誰か教えてもらえる方いらっしゃいませんか?インターネットサポートセンターの夜間受付にも電話してみたのですが、そのインストラクターもやったことがなくわかないといわれ、昼間の通常受付を利用してくださいといわれました。自分のブログがどれだけの人に読まれるかわかるのは、励みにもなりまた反省にもなります。それと僕のブログはカテゴリーごとに整理されていず、まるで殴り書きのメモ帳のようです。これも近々整えないといけないと思うのですが、なかなかその気にはなれない無精者です。しかし勉強することは好きなほうなんですよ。ただ無精かつ横着者で細かい作業をやっていると頭がいらいらしてくるのです。目が悪いせいもあるでしょうね。細かい字ばかり見ていると幻聴まで聞こえてきます。「お前アホやろ。こら。こんな字も見えないのにええかっこすな」というようなささやきが聞こえてきます。これは精神障害者である僕特有のものでしょうか。他に経験ある人もいるのなら教えてください。お互い情報を交換しあって少しでもそれを解決していくよう建設的な友達になりましょう。一つのブログの中に二つも注文をしてしまって、あつかましいかもしれませんが、これもブログならでは出来ることでしょう。どうかお願いします。

| バンババン | 日記 | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
作業所とメリークリスマス
 今日は仕事を終えた後、僕が通っている作業所の行事でコーラスがありました。「ハロー ハロー」と「我等が作業所グリーンハウス」と「もしも明日が」を歌いました。「我等が・・」が以外は手話付きで、その三曲を来週金曜日にある福祉大会という催しでオープニング出演するので、みな熱心になって練習しています。当初の予定では「夜空のムコウ」も入っていたのですが、歌うのは作業員ばかりでなくボランティアのおばさんたちも来るので、それは難しいと言うことでカットされました。そしてこれとは関係ないのですが、僕のプライベートでやっている作詞のはめ込み曲の楽譜の進行がわからないので、そのコーラスの先生に教えてもらいました。詳しいことは知らないのですが、その先生はオペラ歌手が本業で、声楽やピアノ教室を家でやっていて、作業所にはボランティアで教えに来てくれているようです。僕は四十、その先生は五十で、もう家族も持っている方で、もし独身ならぜひともお友達になっていただきたかった素敵な方です。そして福祉大会ですが、僕は歌はある程度覚えているのですが手話は全然だめで、当日はその先生が指揮も兼ねて歌を歌いながら手話をしてくれるので、それを見て真似しようと思っています。
 さて今週も仕事が終わりました。明日はまた自己啓発と趣味そしてスポーツを兼ねて神戸へ行ってきます。それともう一つ行きつけの喫茶店でいま夢中になっているウエイトレスの子に会えるかもしれません。それが森高千里のふるさと熊本弁で言えば、「たいきゃ楽しみ」です。何のつながりもないのですが、あの江口洋介と結婚した元歌手の森高千里の「この街」っていう歌で、その「だいきゃ楽しみ」って言うフレーズがあったのをふと思い出して使いたくなりました。今頃その子も僕のことを思い出しているでしょうか。いつもいわれるんですがそう考えると世の中が思いっきり楽しくなります。究極のプラス思考です。何とかクリスマスまでには友達になって、クリスマスの夜は一緒にデートをして、生涯初の「メリークリスマス」を二人して言ってみたい気分です。
| バンババン | 日記 | 16:57 | comments(0) | trackbacks(13) |
スポーツが再び出来る兆候
 今日は仕事を終えた後、友達の家へよって将棋をして来ました。彼の実力は僕より格下で平手で勝ったことがないので、角と飛車二枚落として一局しました。しかしやはり平手にはない二枚落ち独特の戦い方を知らないので、途中こういったら僕のほうが危なかったのにと言う手は見えましたが、彼はそう行かず、位を取られやがては飛車角両方取られて負けました。ほんと将棋って奥が深いですね。そう偉そうに言っている僕も将棋クラブへ行けばその実力は下っ端のほうです。将棋の基本はやはり観察力と図晩構想力ですね。そして遊びながら頭のよい体操になるのだから、僕もいい趣味を持ったと自負しています。   
 さて僕の趣味は将棋と英語学習とNIE(新聞学習)です。これに加えて山登りと平地ウォーキングを加えたいところですが、スポーツのほうは腰を悪くしてからほんと出来なくなってしまいました。その分勉強に力を入れるようになりましたが、スポーツも出来たら文武両道、鬼に金棒ですよね。しかし最近少しづつではありますが、以前は体をそると骨盤に痛みが走りましたがそれも少しましになり、ぶら下がり健康器を使っての懸垂五回は出来るようになりました。ちなみに学生時代は十回を三セット、腕立て三十回とセットでしていました。ほんとあの頃は若かった。しかしあんまり四十にもなって、スポーツ、スポーツといっていたら同じ年頃の人間から、「スポーツのできひん俺らに対するいやみであり、冒涜じゃ」と言われるかも知れません。しかし時には若返って性欲まで充実してくるのは、スポーツの何よりのすばらしさですね。またせめて毎日十回懸垂が出来るような体に戻したいと思います。とにかく腰を痛めたのは去年の六月初めで、もうかれこれ一年半足らずの間、その痛みに泣かされ続けてきました。ところが昨日、一昨日から徐々に治りつつある兆候が見られ、一昨日から懸垂五回をまず目標にぶら下がり健康器に挑んでます。僕の好きな歌手である郷ひろみは、五十歳にして毎日のようにジム通いをしています。僕も見習わなければと思います。文武両道、晴耕雨読、今に始まったばかりでなく、昔から先人はその両立を図ることを重要と見ていたようです。僕も郷ひろみに比べて十歳も若い。まだまだこれからがんばろうと決意を新たにした今日でした。

| バンババン | 日記 | 22:56 | comments(0) | trackbacks(44) |
悲しいこと
 昨日は悲しいことがありました。このパソコンを買って三年間ほどほとんど毎日メールしていた先輩に、メールをすることを断られました。その理由は定かではないのですが、推測するに僕の大阪批判、神戸の礼賛に嫌気が差したようです。その人はちょうど真ん中の西宮に住んでいます。僕が一週間に三、四度神戸へ行きその大阪との人間気質の違いをうるさいほど表現し、読ませようとするところに嫌気が差したものと見受けられます。昨日書いたこととしては大阪は「芸は教えてもらうんじゃなく盗め」という言葉があるように、そのほうが受身ではなく積極的に学ぶと言う姿勢があって良いとも取れます。しかし人間生活には「盗む」と言うのと対極の「与えられる」、「教えられる」と言うことも必要です。盗むと言うことからは感謝と言う気持ちは生じず、実際は人からしてもらったことなのに自分でしたと言う傲慢や自信過剰を生みます。こういう前者の気質が大阪に多く、後者の人への感謝の気持ちは神戸のほうがよく持っているということをメールに書きました。確かに神戸を好む人からはなるほどと受け取られるでしょうが、大阪びいきの人からは「そんなことない」と言われるかもしれません。ひょっとしたらその先輩にも大阪の知り合いがいて僕が大阪人気質を批判するゆえ、偏向と言うか怖いものを感じ「こいつと付き合っていたら大阪人に嫌われてしまうぞ」と言う危険を感じたのかもしれません。僕自身中学から大学まで十年間西宮の関学で生活し、神戸、西宮を含む阪神間は地元大阪以上に親しみを感じている地域です。だからこの「取ったり、盗む」ばかりでなく、「与え、教えられよ」と言う言葉には、僕の大阪へのこうあって欲しいと言う何にもましての願いがあります。だからその先輩にも今すぐは無理ですが一週間ほど間を空けて電話し、何とか誤解を解いて仲直りしたいと思っています。
| バンババン | 日記 | 20:11 | comments(0) | trackbacks(43) |
ウエイトレス
 今日神戸でいいことがありました。ドトールと言う喫茶店で、ぼくが狙っているウエイトレスが今日朝現れました。その喫茶は三階建てになっているのですが二階で僕が新聞学習をやっていると、私服で上がって来て食器を片付け始めました。そして食器を一階に下ろした後、その後制服に着替えて仕事に入るのかと思いきやその食器を下に下ろしに行ったまま、三階が事務所になりそこで制服を着替えるのですが、いつまでたっても上がってきません。多分僕が推測するに三宮へ誰かと遊ぶため朝出ててきて、シフトが夕方からでちょっと顔を出して帰るつもりで来て手伝ったのでしょう。しかしそこには僕が二階にいるかどうかということを見るためではなかったのかと思うのは手前味噌でしょうか。僕のほうを一度も振り返らなかったのですが、彼女のジーパン越しの尻や太ももを食い入るように見ていました。それを知ってか知らぬかは何よりも横顔に見えた彼女の「あたしを欲しい?」という不敵な微笑が全てを語っていました。これが女なのかと思う瞬間でした。しかしそういう無言のやり取りはしているのですが、まだ決定的となる実際の喋りにはいたっていません。しかし一つ一つではありますが、楽しい思い出は作っていってます。今度こそうまくいくのでしょうか。また何回この言葉を言ったことでしょうか。嗚呼彼女がこの僕のものになるのなら、どんな犠牲だっていとわないのにと思います。「このまま どこまでも 日々は続いていくのかな 雲のない星空が 窓の向こうに続いてる」と言うスマップの「夜空のムコウ」の心境です。思わず「あれから僕たちは 何かを信じてこれたかな 夜空のムコウには もう明日が待っている」と涙腺を潤ませて歌ってしまいそうです。時は1998年の大晦日紅白歌合戦のとりで、スマップが座りながらギターを持ってこの歌を歌っていたことを思い出します。その時はいまと同じように感動で涙腺が潤んだことを覚えています。僕も彼女を前にしてこういうちょっと臭いけど、ロマンチックな言葉を吐くことが出きるのでしょうか。

| バンババン | 日記 | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
神戸に感謝
 今日の昼間も神戸で過ごしました。前にも言ったことのあるいつも立ち寄るなじみの喫茶店で今日も例の女性はいました。僕が朝から行くのは土、日だから他の平日は知りませんが、彼女は土,日と僕が来る九時過ぎの十分後に決まってやって来ます。そして思うのですが男と女最初に会った時どう出るかが非常に大切で、僕は彼女が喜ぶと思ってその姿を眺めてあげます。そうすると彼女はそれに答えて見せてくれます。これが男と女の賭け引きかと思える瞬間です。きざに言えば何か時が止まって彼女と僕だけが動いているようです。それから彼女が席に付き、僕は今までしていたように新聞のノート整理を再び始めます。そして時々彼女はどうしているのかなとか、ひょっとしたら彼女が僕のほうを見つめてるかもしれないと言う気がかりから、頭を上げ彼女の様子を伺います。彼女はタバコをふかしているか、手鏡で化粧を直しているかそれと後一つは僕のほうを盗み見てるかいずれかです。問題は一番最後で彼女が僕のほうを盗み見ている場合、「ひょっとして俺を見て感じているのかい」という様に見返してやります。そうすると彼女は「許してあなたかっこいいもの」と訴えるような目で許しを請うて来ます。またそれ以上にいいのは「そんなこと知らない」と素知らぬふりをされて「あなたこそあたしが欲しいんでしょ。」と逆に男の本能をくすぐるような返り討ちにあうことがあります。いずれにせよそれがうまく決まったときは楽しくて仕方ありません。これが女とのセックス(広い意味で)しているのかと思う瞬間です。まだ一言も声をかけておらず、目の視野に入らなければ赤の他人ですが、このような広い意味でのセックスを楽しんでします。さて彼女とはどうなるんでしょうか。もっとたまらない性感に苛まれて、「ねえ、いつも会いますね。隣に座ってもいいですか」と誘えることを待ち望んでいます。思うのですが、彼女がかわいいからセックスしたくなると言うよりは、彼女と広い意味でのセックスをしているからかわいくなってきたと言う感じです。これも自分自身これまで女性に対して研鑽を積んできた運命的なものもあるのでしょうが、何よりも神戸と言う地がこういう出会い、付き合いを可能にしたのでしょう。彼女とセックス(そのものずばり)したい。彼女もきっと同じ思いを持っているに違いない。そこまでわかっていても声をかけれない自分がもどかしい。彼女は待っているんだと自分を鼓舞するときもありながらも、ひょっとしたら結婚もしていて、子供までいてもおかしくない年。僕との仲はいつまでもこのまま空想と共感の中で楽しめればいいと思っているのかもしれない。と怖気ずいてしまう。でもこれが恋愛なんだなと思う。でもエピローグはどうなるのだろう。ハッピィ−エンドとなることを当事者である僕も、これを読む読者も期待するだろう。とにかくいま僕に出来ることは、こういう運命を呼び込んでくれ、出会いを設定してくれた神戸に感謝したい。
| バンババン | 日記 | 20:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
教会でのときめき
 今日はキリスト教会のミニ集会に行ってました。普通の日曜日に行われる礼拝と基本的には変わりないのですが、おでんや焼きそばなどの軽食とお菓子やコーヒーが出ました。そしてメインはなんと言っても牧師先生のメッセージです。そしてその際「人はいったい何のために生きていますか?」と牧師が僕に名指しで問われました。びっくりしてちょっと躊躇しましたが、「愛する人のため、ひとから愛されるため」と答えたら牧師もおんなじですと答えらました。仕事場の年下の上司が、「僕が毎朝挨拶してくれる隣の若い主婦がいて楽しみです。」と言ったら、「ほんの一つでいいからときめきがあれば人は幸せになれますね。」と返してました。ひょっとしたら愛なんていうのもこのときめきから始まるのかもしれません。その意味で毎朝の挨拶は大切ですよね。ところが僕は何を隠そうつい最近まで大の挨拶が苦手な人間でした。それは目が悪く人の顔がよく見えるまで近づかないとわからず、挨拶したときには「このオッサン挨拶もようせんだめ人間や」と勘違いされ、そっぽを向かれた後と言うことがよくありました。それと人というのを批判的に分析したかったと言う意識もあったのも挨拶をしなかった理由です。しかしその挨拶を上手に出きないことを悔しく思い、またそういう挨拶一つも出来ないところを知っている人に見られたら、「このおっさん嫌われ者やわ」と思われかねないと言う危機感を感じてようやく目が覚めました。それでこうなったらもう勘で目線をあわす人合わす人に自分が先に頭を下げ平身低頭すると言う極端な作戦に出ました。そうすると今まで「あのおっさんは挨拶一つせんかったけど、最近変わったな」と言う風に見られ何とか危機を出しました。だからそれからですよね。人を批判的に観察することをしたければ。僕は順番を間違っていたんだと思います。しかし今でも一つやりたくないのは挨拶して笑顔を見せながらも、こそこそ物陰から覗いては人の様子を伺うこと。そういう汚い人間にだけはなりたかない。僕は挨拶は下手でしたが、大学の講義ではずっと一番前に陣取って講義を聴いていました。それでいつも気になっていたのが後ろの人の陰に隠れて先生や他人の気色ばかりをうかがっているやつ。そういうやつは嫌いでした。「男ならばな。自分が先頭に立ってみなを引っ張るぐらいの気概をを持ちやがれ」と森田健作が言うようなセリフを言わんばかりに情熱に燃えていました。本当あの頃は勇気と闘争心がありました。今はそればかりでも上手くいかず、やはりどこかでごまかして許すところもなければ死んでしまうと言うこともわかりましたが。
 さて教会の話から挨拶の話へすすんできましたが、今日の教会でも二、三ときめきがありました。スタッフの女でやたら僕の前を横切る女がいるのです。その人には依然僕のほうからメールでラブレターを書いたのですが、「私は神に献身するつもりです。だから今後もうメールをしてこないでください。」と言う返事を受け取った経緯がある女でした。しかしそれを良い方に解釈すると「もしあなたがクリスチャンとなり、神に仕えると約束してくれたら話は別ですが」と言う含みを持っていたのかもしれません。それとも単に僕の視線は女を感じさせるのに向いているゆえ、視線だけで感じさせて欲しかったのかもしれません。しかし僕は思うのですが、男は女を見て感じますが、女は男に見られて感じるのではないでしょうか。だから女はセックスアピールを感じる男を見つけると必ずその前を横切ります。だからその女性も僕の前でそういうことをするということはちょっとは僕に未練があって、仲直りしたがっているのかも知れません。しかし明日の一番大事な日曜礼拝には行きません。僕は神戸へ行って書き物をしているほうが楽しい。その楽しさに比べたらその子の魅力も色あせます。その子に対してはちょっとかわいそうですが、僕は神戸を選びます。ちなみに教会は西宮にあります。
| バンババン | 日記 | 22:10 | comments(0) | trackbacks(3) |
神戸カフェ
こんばんわ。今日も僕は神戸で過ごしました。八時前に家を出て阪神西大阪線伝法から電車に乗り、三宮へと向かいました。そして八時半ごろに到着.阪急三宮西口のドトールへと向かいました。そこで一杯百八十円のアイスコーヒーのショートサイズを注文し、二階の喫煙席に陣取りました。そして駅で買った神戸新聞を広げ、読みながらアンダーラインを引っ張り、ノートに整理しました。それと自分なりの文章創作を書くこと二時間超やってました。
 さてそこでよく顔を会わし、ちょうど僕の真向かいに座る女性がいます。年齢は三十代か四十代で僕と同じぐらいの年恰好をした女性です。「よく会いますね」と何か一言声をかけて知り合いになりたいのですがどうもその勇気が出ません。決して美人ではありませんが、懸命に物を書く僕の姿が気になるのか、僕が顔を上げたときよく目が合います。僕の頭のてっぺんの髪の毛の薄さに気づいているのでしょう。自分と同じぐらいの年だというのはわかっていると思います。しかし僕と目を合わす時何か意味ありげなまなざしを送ってくるので、僕のことを気にしているのかもしれません。どうすればいいのでしょうか。トイレの時などより接近したときに一声かけたらいいのでしょうか。しかし年も年なのでもう既婚者かもしれません。そのときは声をかけたりなどしたら向こうも困るかもしれません。迷うところです。そしてもう一人ウエイトレスでテーブルを拭きに来たとき、何ヶ月か前に顔を見て以来見てなかったので、「何ヶ月か前に勤めてなかった?」って声をかけたウエイトレスがいます。そのときはその子が軽く「はい」と微笑んで終わったのですが、僕はそのことをすっかり忘れていました。そしてこないだセルフカウンター越しに、僕が注文を待っていたとき、向こうから軽く会釈して来ました。はじめどういうことだろうとぽかんと口を開けたままあっけに取られていました。そういえばその前記したようなことがあったようななかったような、それで会釈したのか。工藤静香の歌の「不実」と同じく、「不実です 始めてあったような不思議顔 私は街角ピエロ」という対応をしてしまったのです。今度接近して声をかけれる時は、僕のほうから「この前礼してくれたけど、以前に何か僕話しかけたことあったかな?」と聞いてみようと思います。それがきっかけでまた会えば話かけれる仲になるかもしれません。今のところ彼女のいない僕がツバ付けているのはこの二人です。またこういう出会いがあるのも神戸ならでわだと思っています。僕が神戸の喫茶店を思い作った歌を紹介します。


神戸CAFÉ讃歌
            バンババン
日本のcafé shop history 神戸に始まったという
UCCにネスレ、萩原と コーヒーメーカー目白押し
昨今ドトール、スタバにサンマルク 若向けcafé続々
そのあおりうけ かなり通ったなじみの店も消えた
そこで書き物をした 履歴書、年賀状、ラブレター
僕の思い出の中に 今もなおその店の灯は消えちゃいない
そこのウエイトレス どこかの空の下笑顔作ってるかな。
ビバ神戸café その賑わいいつまでも
疲れた僕たち癒しておくれ


アメリカ人はcoffee、イギリス人はteaを好む
日本はアメリカナイズ しかし悪い意味ではない
coffeeはストレスを解消し 想像力を高めてくれる
そして店が流行るには 味以上のプラスアルファが必要
会話だとか読書、書き物 にそぐった店内のこだわり
図書館のように静かでない分 賑わいの中何かに集中
ハイカラな神戸っ子は 洒落たcaféでの時間がお好き
ビバ神戸café そのアカデミック、いつまでも
疲れた人々癒しておくれ

ビバ神戸café その品格、永遠に
我々の夢育んでおくれ 
| バンババン | 日記 | 22:43 | comments(0) | trackbacks(1) |
グリーンハウス
今日は作業所グリーンハウスから、大阪市此花区役所主催の「いきいき祭り」というお年寄りや障害者を招待したイベントに、コーラス隊として参加しました。歌った歌は僕が作詞した「我等が作業所グリーンハウス」と、「もしも明日が」、「ありがとうさようなら」、「ハナミズキ」と四曲でした。中でも二曲目、三曲目は手話つきという簡単なようで難しいコーラスでした。
僕が通う作業所は基本的に精神障害者が集う小規模作業所です。しかしそこで稼げる工賃はほんの微々たるものです。だから稼ぎに行くという場所ではなく、大概仕事からあぶれた人たちが来るため、その人たちの昼間過ごせる場所の確保や、内職仕事を他人と競って焦るようなこともなくマイペースで正確丁寧にやることによって、徐々に精神のリハビリをしていく場所です。そこの人たちと話していると、やはり精神には障害を持っていても何かほかの人には負けないという特技を持っていて、ただそれが社会一般の仕事では直接生かせないという人が多いのです。僕にとっては仕事に就かずにいたときよりはるかに精神が安定してきました。ただ先にも言いましたが、ここで得ることが出来る収入ではとても生活していくことが出来ず、将来的には社会復帰し職を持って独立をするということが、そこの指導員さん一同の願いなようです。僕の場合を言いますと作詞家になりたいという夢を持っています。冒頭で言いましたが、僕が作ったグリーンハウスの歌を下記に掲載します。歌について一見識の持っている人には是非批評をして欲しいものです。

我等が作業所グリーンハウス

グリーンハウス 我等が通う小規模作業所
此花区高見町のはずれ 路地の最中(さなか)に建つ一軒家
指導員Uさん 口を開けば阪神のこと切り出す大のトラ吉
同じくNさん メンバーより若いのにその面倒を見るkind gal
そしてOさん 仕事しつつも四方山(よもやま)話作業所のお母さん
この人たちに支えられ グリーンハウスは今日も建つ

グリーンハウス 僕らが集う憩いの仕事場
作業収入は低けれど 将来離陸への滑走路
メンバーのMさん 座って作業する中こまめに立って進行役
同じくUさん 自分からしゃべらずにもくもく仕事の優等生
そしてYさん メンバーの中で一番のやり手 影のリーダー
これらの人の作業の下 グリーンハウスがここにある

グリーンハウス 僕ら傷ついた者の駆け込み寺
指導員さんに励まされ ボチボチ楽しく内職仕事
メンバーのSさん トンチンカンだけど、根は意外にナイーブ
同じくTさん 誰かがしゃべりかけなくばもくもく仕事の好男子
そしてKさん 一見スローに見えもすれエレクトーンを弾く才女
これらの人の作業の下 今日も元気にグリーンハウス 

グリーンハウス ここにはいろんな人がいる
絵を描く人に、寝に来る人 いずれの人も皆それぞれ
メンバーのFさん 推理小説には必ずいてる謎の男
同じくSさん 作業所が仕事ではなく 絵を描く場所
そしてTさん 少々太った悩みをも その饒舌でふっ飛ばす
これらの人の泣き笑い グリーンハウスは今日も賑やか



| バンババン | 日記 | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
今日の出来事
 今日は須磨の海岸まで、作詞する際の取材というかネタ探しに行ってきました。JR須磨を降りるとそこはもう砂浜。(どこかで聞いたことある前ふりだと思ったらユニバーサルの「駅を降りればそこはハリウッド」だ)海の家が見え、海岸がもうすぐ目と鼻の先にあります。そして海の家を突っ切るまでに必ずサーファー風のお兄さん達に「着替えはどうされますか?是非うちの海の家をご利用ください」と声かけられます。泳ぐ気はないので無言で突っ切るとそこは砂浜の海岸。駅とそれより北の町の風景とはまったく別世界の空間がそこに待っています。男は上半身裸にバミューダ。女は今年の流行なのかビキニを着たギャルが所狭しと砂の上に寝そべっています。僕は泳ぎませんが、その中のおんなじ空間に溶け合うために、その砂浜の中を端から端まで練り歩きました。しかし女性のビキニ。下着ならスカートがめくれて見えたら恥ずかしいのに、水着ならパンツ以上に大胆なものを着る心理。僕にはいまだにわかりません。しかしそうして女に夏の砂浜を盛り上げてくれようとする意志が多少ともあるのなら、男もそれに感謝して女を大事にせねばなりません。しかし冒頭で作詞を作るための取材にといいましたが、いきなりそのフレーズが思い浮かぶわけでもありません。発酵し、熟成したものを後で思い浮かべて、想像力を働かすのです。それ故に実際の体験はたいしたことがなくても、後で思い浮かべて空想を働かしているときのほうが、現実以上に楽しいことかもしれません。言わばこれが物書きの醍醐味でしょう。だから現実が今一つ物足りないようなものなら、その反省を込めて今度は今まで以上な現実に遭遇するよう願いを込めて書きます。その現実と空想のギャップが大きいものをフィクション。その差が小さいものをノンフィクションと称するのでしょう。そして三宮の喫茶店で作詞の元となるおおまかな骨子は出来上がりました。しかしまだそれを削ったり、付け加えたりして作り上げます。しかし夏というのは燃える恋。そんな歌が幾千百とあることでしょう。それらに匹敵するような歌をこさえるというのは至難の業です。しかしそれをやり遂げなければプロの作詞家にはなれないのでしょう。
この夏の間に何とか一曲作り上げます。そう公約します。
| バンババン | 日記 | 20:20 | comments(0) | trackbacks(46) |


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