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2005.09.29 Thursday
グリーンハウス
今日は作業所グリーンハウスから、大阪市此花区役所主催の「いきいき祭り」というお年寄りや障害者を招待したイベントに、コーラス隊として参加しました。歌った歌は僕が作詞した「我等が作業所グリーンハウス」と、「もしも明日が」、「ありがとうさようなら」、「ハナミズキ」と四曲でした。中でも二曲目、三曲目は手話つきという簡単なようで難しいコーラスでした。
僕が通う作業所は基本的に精神障害者が集う小規模作業所です。しかしそこで稼げる工賃はほんの微々たるものです。だから稼ぎに行くという場所ではなく、大概仕事からあぶれた人たちが来るため、その人たちの昼間過ごせる場所の確保や、内職仕事を他人と競って焦るようなこともなくマイペースで正確丁寧にやることによって、徐々に精神のリハビリをしていく場所です。そこの人たちと話していると、やはり精神には障害を持っていても何かほかの人には負けないという特技を持っていて、ただそれが社会一般の仕事では直接生かせないという人が多いのです。僕にとっては仕事に就かずにいたときよりはるかに精神が安定してきました。ただ先にも言いましたが、ここで得ることが出来る収入ではとても生活していくことが出来ず、将来的には社会復帰し職を持って独立をするということが、そこの指導員さん一同の願いなようです。僕の場合を言いますと作詞家になりたいという夢を持っています。冒頭で言いましたが、僕が作ったグリーンハウスの歌を下記に掲載します。歌について一見識の持っている人には是非批評をして欲しいものです。
我等が作業所グリーンハウス
グリーンハウス 我等が通う小規模作業所
此花区高見町のはずれ 路地の最中(さなか)に建つ一軒家
指導員Uさん 口を開けば阪神のこと切り出す大のトラ吉
同じくNさん メンバーより若いのにその面倒を見るkind gal
そしてOさん 仕事しつつも四方山(よもやま)話作業所のお母さん
この人たちに支えられ グリーンハウスは今日も建つ
グリーンハウス 僕らが集う憩いの仕事場
作業収入は低けれど 将来離陸への滑走路
メンバーのMさん 座って作業する中こまめに立って進行役
同じくUさん 自分からしゃべらずにもくもく仕事の優等生
そしてYさん メンバーの中で一番のやり手 影のリーダー
これらの人の作業の下 グリーンハウスがここにある
グリーンハウス 僕ら傷ついた者の駆け込み寺
指導員さんに励まされ ボチボチ楽しく内職仕事
メンバーのSさん トンチンカンだけど、根は意外にナイーブ
同じくTさん 誰かがしゃべりかけなくばもくもく仕事の好男子
そしてKさん 一見スローに見えもすれエレクトーンを弾く才女
これらの人の作業の下 今日も元気にグリーンハウス
グリーンハウス ここにはいろんな人がいる
絵を描く人に、寝に来る人 いずれの人も皆それぞれ
メンバーのFさん 推理小説には必ずいてる謎の男
同じくSさん 作業所が仕事ではなく 絵を描く場所
そしてTさん 少々太った悩みをも その饒舌でふっ飛ばす
これらの人の泣き笑い グリーンハウスは今日も賑やか
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2005.09.27 Tuesday
平等と公平
今日も仕事が休みで神戸へ行ってました。今日の特筆すべきことは、やはり三宮から御影まで歩いて、駅の近くにある八番館というカフェで書き物をしたことです。そこで吉川栄治の「鳴門秘帳」を読み、神戸新聞を開いて、大事だと思った箇所にはアンダーラインを入れ、ノートに整理しました。そして今日一日の反省を込めてあるがまま、つれづれなるままにエッセイや評論を紡ぎました。やはりウォーキングの後の書き物というのは集中できます。ウォーキングで外の景色に慣れた目を室内で学習することは、非常にマッチしているようです。それから神戸というところほんと僕の肌に合うのか、大阪とは違いペン先が走ってくれます。大阪で書くとどうも幻聴(精神病の一つ。僕が絶えず悩まされている症状です。)が聞こえてうまく書けません。どうして僕にとって大阪と神戸こうも違うのでしょう。この事に対する言及はおいおいやってゆきます。
さて僕はこの一週間ほど前から平等と公平という価値観についてこだわりを持ちつつ生活しています。それは「赤信号みんなで渡れば怖くない」という悪平等ではありません。いじめや差別を間近にしたとき、「そんな自分がされたらいやなことを他人にしちゃいけないや。」ということを訴えかける公平と平等です。前者の平等は簡単ですが、後者の平等というのはある意味怖い。下手すれば「こいつええかっこしよるど。いてまえ。」となりかねない訴えです。しかし僕達はこの悪の暴力に負けてはいけません。断固として、命をかけてこの悪と戦っていかねばなりません。
またこれに能力主義が加われば、若者優遇の規範といえます。ただ僕は年功序列というものに対して、決して必要悪なものではないと考えています。たとえ能力がある若者より劣ってても、今まで積み重ねてきた年輪というか経験はずっと先を行っています。その自然の摂理を軽視する集団は人間関係が決してうまく行きません。たとえ仕事における能力で劣っても人間関係の問題解決に立ち回ってくれたり、陰の立役者的役割を握っていてくれる場合も多いと思います。たとえ仕事で成功しなくても、あの人がいたゆえに揉め事を、苦情を解決できたと尊敬されていれば、その当事者は縁の下の力持ちという誇りを持てるものです。
さてこのようなエッセイや評論を、僕は神戸の喫茶やファーストフォード店で紡いでいます。これを集中して想像しているときには、幻聴も治まっています。ほんと文章を書くって奥が深く、幅も広くて、楽しいですね。僕も残りの人生、吉川栄治の生涯一書生というかっこいいものではありませんが、継続し続けたいと思います。
| バンババン | 評論 | 22:19 | - | - |
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2005.09.25 Sunday
僕の女性観の変遷
こんにちは。昨日に引き続いて今日も息抜きと自己啓発を兼ねて神戸へ足を運びました。やったことは昨日とまったく同じことなのですが、今日は最後の御影の喫茶店で、雑誌置き場にプレイボーイが置いてあったのでそれを手に取り、久しぶりのヘアヌード写真を拝みました。おそらくただ自然のままにしているのではなく、手入れしたきれいな逆三角のヘアーと若いピチピチした肌のコーディネートは見るものを惹きつけました。しかし僕は四十になったのですが、そんな若いピチピチした肌を持つ女性よりも、三十後半から四十前半あたりの年齢層にも魅力を感じるようになって来ました。これももう年のせいなのでしょうか。何か二十歳前後の若い女性は、早く結婚していたら自分の娘であってもおかしくないので、そんな層をターゲットにするというの何か罪のような気もしだしてきました。そして若いピチピチギャルを若さへのジェラシィーむき出しに抱くというのは、何かいやらしすぎると思い出しました。何かたとえ男と女であっても多少男のほうが年上のほうがいいかもしれませんが、おんなじぐらいの年齢層で付き合うほうが、セックスのほうでもよりうまくいくのではないかと思い出してきました。
僕も五年ほど前から頭の前部が後退し始め、てっぺんも薄くなりだしました。この老いを受け入れてくれる女性。そして向こうの老けた部分をこちらの元気で若返させれるようなセックス。これを欲するようになりました。これに気づきだしてから風俗遊びも何か嫌悪を感じて、前ほどはしなくなりました。だからといって熟女の魅力などと風俗雑誌に特集されているものは、どこか違うような気がします。確かに僕と同じぐらいの年齢の女性はもうほとんど結婚していて、独身でいるのは売れ残った女ばかりのような気もしますが、中には掘り出し物がないかと日々探し求めてます。「分相応を知れ」という言葉もあります。もういくら僕がかつてはハンサムといわれることが多かったとはいえ、もう四十のオッサン。二十代の女のターゲットにはならないでしょう。それとさっきもいいましたが、そういう若い女に振られる腹いせに、ジェラシィー丸出しにして抱くというのは何かいやらしすぎて変態趣味のような気がしてきました。今日は僕の女性観の変遷について書かせてもらいました。ちょっと露骨過ぎたかな?
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2005.09.24 Saturday
神戸での典型的な一日
今日は神戸へ行ってきました。そして朝一番ドトールで新聞学習(NIE)を行い、神戸新聞の一、二面と社説と読者のコーナーからこれはと思う記事や言葉をアンダーラインを引っ張って、ノートに整理しました。本当このNIEはもう卒業して二十年近くなる学生気分に浸り、新聞記事にアンダーラインを引っ張ってノート整理するので、懐旧の情を感じつつ学習できます。そこで三時間ほど粘って、次はジャンカラへ行きました。ここでは持参した将棋盤に駒を並べて、詰め将棋を解きました。そして歌も二,三曲歌いました。そしてその後そごうで御座候を買い、階段の踊り場でそれを食べながら、吉川英治の「鳴門秘帳」という小説を読んでました。その次は東のサンパルのウエンディーズへ行き、チキンナゲットを食べながら、今度はノートにそのとき思いついたことや評論したいことなどを、徒然なるままにつづりました。然る後ずっと室内だったので気分転換に、そこから東へ阪神御影までウォーキングをしました。三連休の中日なので人影もあまりなく、のんびりと風景でも見つつウォーキングが出来ました。そして阪神御影の駅すぐ横のキーコーヒーでまたまたNIEと文章をつづりました。これが僕の典型的な休日の一日の過ごし方です。早くここに彼女という登場人物を書き込みたいのですが、なかなか思うようには行かないようです。しかし前にも言いましたが、これも神戸だから楽しめることで地元大阪ではようしません。あまりにも喧騒すぎ、またウォーキングするには、人が多すぎてうっとおしいからです。神戸様々。神戸の街に感謝しています。
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2005.09.03 Saturday
十一日ぶりのブログ
僕を知る皆さんお久しぶりです。ずっと前に書いた記事で取り上げた新聞学習をやり続けてはいましたが、ブログは十一日ぶりです。しかし新聞学習のおかげでここ一ヶ月ほどマスコミを賑わし続けている政治、選挙のことにずいぶん詳しくなりました。ただ悲しいかなその勉強した言葉を使って、これからの選挙、政治の行方について論じろといわれて論じれるほど、頭がよくありません。なんとかそう出来るようになれるぐらい勉強したいという向上心には燃えてはいるのですが。いまだに小選挙区と比例代表はどう違うのかという問いにも答えれないぐらいたいしたことありません。ただ文章を書くことは好きだから、この政治、選挙を僕なりの切り口で論じてみます。
今までの新聞学習で一つ思ったことは、小泉さんをヒトラーのような独裁者と見るか、政治における現代日本のヒーローと見るかで、自民公明支持、不支持が分かれるということです。そしてこの独裁者と見るのは自我が強いインテリに多く、ヒーローと見る層は情熱型の人に多いように思えます。確かに政治的熱狂の下、そのうねりを先導するリーダーが出現し、一挙に軍国主義、ファシズム体制に持っていかれたのは、先の戦争の最大の反省点かもしれません。しかし今まで政治に関心を持っていなかったしらけ時代を熱狂させ、政治を自分のこととして考えさせた立役者は、小泉首相をおいてほかにありません。そう思えば造反議員や野党は、ヒーローの首相をねたみ何とかして足をすくってやろうとする小人にしか見えません。総理も与党過半数に達しなければ、国民の郵政否決、小泉不信任として辞職すると自らの退治を断っています。そこまで一個人が命を懸けてこの郵政民営化を叫んでいるのだから、一度だまされたと思って総理の言うとおりにさせてあげたらどうかと思うのは僕だけでしょうか。民主主義に批判の力は必要ですが、「船頭多くして船山に登る」という格言もあります。批判ばっかりでもエントロピーが増え過ぎて、社会は反って混乱するとも言います。いくら民主主義とはいえ、黙って舞台で踊る人を眺めている人々もいなければなりません。だから僕としては、乗りかかった船。ここはだまされたと思って小泉首相の言うとおりして見ましょうと声を大にします。確かに鬼ができるか蛇が出るかはわかりませんが、もしもの時は小泉首相に「あなたの言ってたことは間違っていましたね。潔く退陣してください。」と訴えれば「申し訳なかった。どこが悪かったのかいまだにわからないが、僕に至らぬところがあり国民の皆さんに迷惑をかけてしまった。潔く身を引きます。」と承諾してくれない偽善者ではないと信じています。
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