バンババン

文章だったらそこそこの
ものを書けるのですが、
やれ画像やレイアウトの美
的感覚はゼロなので、これ
から向上してゆきたいと思
います。
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神戸女と大阪女
 今日はやはり神戸の行きつけの喫茶「みかげ」に尽きる。あそこで書き物をするとほんと落ち着ける。最後また幻聴もあったけれど、概して気持ちよく文章が書けた。ほんと大阪が地獄なら、ここは天国である。
 話は変わるが江戸っ子を「あほじゃ」とバカにする大阪の人間には怒りを覚える。僕も普段からしゃべる時まで江戸っ子の言葉を使いはしないが、カラオケの歌の世界では大いに使う。「江戸っ子だぜダンディー ちゃきちゃき東京」などという具合である。これは「シブがき隊」の「べらんめえ伊達男」の一フレーズである。大阪と東京どう違うといって、大阪が雑草、ガンバルマンであれば、東京は「この程度でいいだろ」という中庸の倫理を持っているところが目に付く。それゆえ江戸っ子は時には負ける。以外にひ弱である。しかしさすがに文化の街。負けたら負けたでかっこいいのである。そこに敗北の美学なるものが存在する。それは大阪では「あほや」なのである。そんな負けたら誰かが慰めてくれるという甘えの構造は大阪では通用しない。大阪には負けたらバカにされるという空気が蔓延している。ここが大阪と東京の違いである。それゆえ大阪は温かくて、東京は冷たいというのも一概には言えないのである。僕は時には負けてもいいという東京的甘えが好きである。それはがんばる。努力するなどという次元ではないのである。それは人への社会への期待が込められている一種の政治思想なのである。大阪のように「人、社会、そんなもの助けてくれるか。あほじゃ」というのと対称的である。またまた自分の生まれ故郷である大阪のことをくそみそに言っているが、ほんと大阪にいても楽しくない。神戸にいると楽しい。僕の文章の大前提にこの感覚がある。神戸の女は美しい。大阪の女は汚い。これはそのまま読めば差別言葉で訴えられるかも知れない。しかしここでいう汚いというのは見掛けが不細工で汚いというものでなく、男の言うことを聞かず男に魅せることのない大阪女が汚いといっているのである。神戸女は魅せるのがうまい。ほんと神戸の女を見ていると目はどんどんよくなるような気がする。しかし大阪の女を見ていると目が悪くなってくるのである。これは単にそれだけで済まされることではない。そしてその理由は視線そらしに他ならない。神戸では女に目を送ったらこちらを見つめ返してくることも少なからずあるが、大阪ではまったくと言ってない。その意味からも大阪の女は汚いのである。この言葉によって「君は大阪の女を差別している」というコメントを書かれてもかまわぬ。それを書いて来たら来たでこちらも反論する言葉を用意するつもりである。大阪の女の視線そらしによって、大阪の男たちの目がどれほど悪くなっているか大阪女は全く知らん顔なのである。なんとも思ってないのである。そんな汚い人間を女としてみたくない。それゆえに俺は何かあるたびに大阪女は汚いと書くだろう。大阪女が反省してましになったと見切りが付くまで。小泉首相ではないが、「俺はこのことで殺されたってかまわない。』そこまで命かけてこのことをましになったといえる日まで訴え続けたい。
| バンババン | 視力回復 | 19:35 | comments(0) | trackbacks(41) |
視力回復
今日もいつもの休みの日と同じく、神戸で過ごしました。さて僕は視力回復を行っています。本を読めばいろんな方法が語られていますが、僕が試してみてこれはと思うのはなんと言ってもウォーキングです。特に風光明媚な神戸の街を徘徊しつつ正しい歩き方でいろんなものを眺めていると、目がよくなっていく感覚を覚えます。正しい歩き方というのは僕流に言わせると、やや前傾に体を倒して、足の裏はまずかかとの外側から着地して、つま先の内側へと体重移動して後ろへ蹴る、必要以上に上下動をしないスムースな歩き方です。これが出来ると視界もずいぶん変わって来て、遠くの景色が見え出してくるようになります。僕は以前は視力0.2でメガネをかけていましたが、これをやりだしてから裸眼で物を見れるようになりました。何しろメガネではなく裸眼で物体がはっきりと見えたときの感動というのは、何にもましてうれしいものです。本当にリスクを伴わずに視力を回復できる手術を発明したらノーベル賞ものやとメガネ屋の店員も言ってました。一時マスコミをにぎわしたRPK手術も保険が適用されずいつの間にか消えていったのは、やはり傷口が閉じていくとともに視力もまた元に戻っていくなどの問題があったのでしょう。確かに0.2のものが1.0になるということは不可能かもしれません。しかし日常生活には不自由しないという0.4にあがっただけでもずいぶん違うものです。メガネの一番のリスクは何かというと、やはり大学の講義で言えば前のほうの席に行かず後ろのほうで人ごみに隠れて、漁夫の利を得ようするなどの目立つことを避けて性格が歪むことです。もちろんメガネを利用している人の中にも勇気ある人はいるかもしれませんが、傾向としてそうなりがちです。いわばメガネをはずして後ろじゃ見えないから一番前の席に座って板書しようという勇気ある人間を大阪流に言うと「アホヤ」と排除してゆきます。いわば今の現代日本の社会体制は視力回復を疎外する方向で進んできています。いわばあらゆるところで目が悪いというのは、社会的失敗者として疎外されるのです。さっきも言いましたが、視力回復を行うなんて「あほ」か「バカ」なのです。しかし梶原一騎原作で、極真空手を創始した大山倍達のことをつづった「空手バカ一代」という漫画があります。これは大山倍達が自分の中の他のものみな投げ打って空手一筋に生きた生き様を人が見て空手バカと称したところからとったものです。僕もこのバカをお借りし、この視力回復に取り組みたいと思っています。何をこの男そこまでして視力回復などというはやりもしないことをやりたがるのかという疑問をもたれるかも知れません。しかしもちろん僕なりにそれで信じられないほどな感動と喜びを体験したからに他なりません。今メガネやコンタクトをしている皆さん、一度騙されたと思ってそれらなしに外を歩いてみてください。ちょっとした何かのきっかけで良く見えて、こいつの言っていたことはこれかなという体験をもったら楽しいものですよ。まあまだ僕の文章力では読者の皆さんを説得するだけの力はないかもしれません。またこのことについて機会があれば言及してみます。
| バンババン | 視力回復 | 20:51 | comments(0) | trackbacks(51) |


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