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2005.10.23 Sunday
神戸に感謝
今日の昼間も神戸で過ごしました。前にも言ったことのあるいつも立ち寄るなじみの喫茶店で今日も例の女性はいました。僕が朝から行くのは土、日だから他の平日は知りませんが、彼女は土,日と僕が来る九時過ぎの十分後に決まってやって来ます。そして思うのですが男と女最初に会った時どう出るかが非常に大切で、僕は彼女が喜ぶと思ってその姿を眺めてあげます。そうすると彼女はそれに答えて見せてくれます。これが男と女の賭け引きかと思える瞬間です。きざに言えば何か時が止まって彼女と僕だけが動いているようです。それから彼女が席に付き、僕は今までしていたように新聞のノート整理を再び始めます。そして時々彼女はどうしているのかなとか、ひょっとしたら彼女が僕のほうを見つめてるかもしれないと言う気がかりから、頭を上げ彼女の様子を伺います。彼女はタバコをふかしているか、手鏡で化粧を直しているかそれと後一つは僕のほうを盗み見てるかいずれかです。問題は一番最後で彼女が僕のほうを盗み見ている場合、「ひょっとして俺を見て感じているのかい」という様に見返してやります。そうすると彼女は「許してあなたかっこいいもの」と訴えるような目で許しを請うて来ます。またそれ以上にいいのは「そんなこと知らない」と素知らぬふりをされて「あなたこそあたしが欲しいんでしょ。」と逆に男の本能をくすぐるような返り討ちにあうことがあります。いずれにせよそれがうまく決まったときは楽しくて仕方ありません。これが女とのセックス(広い意味で)しているのかと思う瞬間です。まだ一言も声をかけておらず、目の視野に入らなければ赤の他人ですが、このような広い意味でのセックスを楽しんでします。さて彼女とはどうなるんでしょうか。もっとたまらない性感に苛まれて、「ねえ、いつも会いますね。隣に座ってもいいですか」と誘えることを待ち望んでいます。思うのですが、彼女がかわいいからセックスしたくなると言うよりは、彼女と広い意味でのセックスをしているからかわいくなってきたと言う感じです。これも自分自身これまで女性に対して研鑽を積んできた運命的なものもあるのでしょうが、何よりも神戸と言う地がこういう出会い、付き合いを可能にしたのでしょう。彼女とセックス(そのものずばり)したい。彼女もきっと同じ思いを持っているに違いない。そこまでわかっていても声をかけれない自分がもどかしい。彼女は待っているんだと自分を鼓舞するときもありながらも、ひょっとしたら結婚もしていて、子供までいてもおかしくない年。僕との仲はいつまでもこのまま空想と共感の中で楽しめればいいと思っているのかもしれない。と怖気ずいてしまう。でもこれが恋愛なんだなと思う。でもエピローグはどうなるのだろう。ハッピィ−エンドとなることを当事者である僕も、これを読む読者も期待するだろう。とにかくいま僕に出来ることは、こういう運命を呼び込んでくれ、出会いを設定してくれた神戸に感謝したい。
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2005.10.19 Wednesday
小泉首相対前原代表
今日は小泉首相と民主党の前原代表の党首討論がありました。前原代表が首相が靖国参拝を行ったことにより、中韓の外交情勢が一挙に壊れてしまった。それについて総理はどう責任を取るつもりかと突っ込みました。それに対し小泉総理は、この日本国のために命を捧げて戦った人々をあがめ、今後もう絶対にこのようなことはしないと言う不戦の誓いをしたこと。そしてもう一つ憲法に思想、信条の自由と言うものがあり、一国民として哀悼をささげることをだめだと言うのは、それに反する行為ではありませんかと応酬しました。そして途中前原代表が小泉首相がポケットから賽銭を取り出し放り投げる様子を見ているとこっけいに見えたと茶化しました。確かに党首会談。相手の言うことに感心してはディベートにはならない故、ある程度相手が年上であろうが敵対することは仕方ないこともかもしれません。しかし前原代表のへらへら薄笑いをする表情は、何か温かい情熱を感じる小泉首相に対し、よく言えばニヒルですが悪く取ったら言動に困っている弱者(首相)を軽蔑の目で差別し、あざ笑う若造と言う感を持ちました。確かに首相ももう少し中国や韓国の反日情勢が下火になってから晴れて行えばよかったのにとも思います。しかし一年に一回、総理大臣になる前の議員の時代から続けてきたことゆえ,もしそれを中韓外交への迎合のため取りやめにしたとなれば、これまで積み上げてきた自分自身の過去まで否定することになりかねないとの思いなのでしょう。とにかくわが政治方針を曲げられるぐらいなら、殺されたてかまわないと言わんばかりの人ゆえ、あまりにもの反発や茶化し中傷のためにかっかして健康を害さないことを祈るばかりです。そして僕は小泉首相に現代のヒロイズムを見ます。それになれぬものは周りから雑魚のごとくごちゃごちゃ言ってねたみうらやむ。しかし「誰が知ろう。百尺下の水の心を。水の深さを。」これは吉川栄治著の宮本武蔵のエンディングの言葉だが、まさにそれを彷彿させる今の政治状況です。みな小泉首相のイエスマンとなって、独裁に走ることが恐いと言う。しかしリーダーシップを発揮できずにお互い批判ばかりして、何にも決まらない烏合の衆と化すことはそれと同じぐらいか、それ以上に恐いのではないでしょうか。僕は少々リーダーがワンマンでも、衆をまとめ統治できる人がその地位に就いたほうが今の日本にはちょうどよいのではないかと思う。
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2005.10.17 Monday
受験勉強の善悪
今日は昨日の夜から寝ている間に風を引いてしまって、昼まで仕事をやってましたが、昼からは静養することにしました。風邪は寝ていたら治るとは言うものの、昼間ずっと寝床にいるのはつらく、パソコンぐらいならいいかと今これを打っています。それだから昨日の夜からは英語の勉強も出来てません。ほんと英語の勉強と言うのも深いですね。前にも言いましたが、ただ英語を堪能になるばかりではなく、虫食いや並べ替えと言うなにかかパズル的要素もあって、英語の勉強をしながらパズルを習っているようです。ほんと高校までは受験の勉強で、大学になってから本当の勉強が始まると言います。しかしこう考えてみると受験勉強も知能を鍛えるためにずいぶん寄与しています。だから僕は英作の勉強をしています。ただ英単語を覚えたり、英語の作文を作れたりするばかりではなく、並べ替えや当てはめが面白くて英語の問題集を開けるのが楽しくてなりません。学生はこんなことを他人と競争しながらやっているのですね。しかし競争と言うもの一人歩きしてはいけません。そこに弱者をいたわるやさしい心を育てなければ。学生は競争競争とそれに明け暮れているのかもしれません。受験の欠陥です。弱者を助ける優しい心。それが人間生活にはどうしても必要です。ふと受験勉強をしながら、その創造的なところとそこにかくれた欠陥を思い浮かべました。
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2005.10.15 Saturday
教会でのときめき
今日はキリスト教会のミニ集会に行ってました。普通の日曜日に行われる礼拝と基本的には変わりないのですが、おでんや焼きそばなどの軽食とお菓子やコーヒーが出ました。そしてメインはなんと言っても牧師先生のメッセージです。そしてその際「人はいったい何のために生きていますか?」と牧師が僕に名指しで問われました。びっくりしてちょっと躊躇しましたが、「愛する人のため、ひとから愛されるため」と答えたら牧師もおんなじですと答えらました。仕事場の年下の上司が、「僕が毎朝挨拶してくれる隣の若い主婦がいて楽しみです。」と言ったら、「ほんの一つでいいからときめきがあれば人は幸せになれますね。」と返してました。ひょっとしたら愛なんていうのもこのときめきから始まるのかもしれません。その意味で毎朝の挨拶は大切ですよね。ところが僕は何を隠そうつい最近まで大の挨拶が苦手な人間でした。それは目が悪く人の顔がよく見えるまで近づかないとわからず、挨拶したときには「このオッサン挨拶もようせんだめ人間や」と勘違いされ、そっぽを向かれた後と言うことがよくありました。それと人というのを批判的に分析したかったと言う意識もあったのも挨拶をしなかった理由です。しかしその挨拶を上手に出きないことを悔しく思い、またそういう挨拶一つも出来ないところを知っている人に見られたら、「このおっさん嫌われ者やわ」と思われかねないと言う危機感を感じてようやく目が覚めました。それでこうなったらもう勘で目線をあわす人合わす人に自分が先に頭を下げ平身低頭すると言う極端な作戦に出ました。そうすると今まで「あのおっさんは挨拶一つせんかったけど、最近変わったな」と言う風に見られ何とか危機を出しました。だからそれからですよね。人を批判的に観察することをしたければ。僕は順番を間違っていたんだと思います。しかし今でも一つやりたくないのは挨拶して笑顔を見せながらも、こそこそ物陰から覗いては人の様子を伺うこと。そういう汚い人間にだけはなりたかない。僕は挨拶は下手でしたが、大学の講義ではずっと一番前に陣取って講義を聴いていました。それでいつも気になっていたのが後ろの人の陰に隠れて先生や他人の気色ばかりをうかがっているやつ。そういうやつは嫌いでした。「男ならばな。自分が先頭に立ってみなを引っ張るぐらいの気概をを持ちやがれ」と森田健作が言うようなセリフを言わんばかりに情熱に燃えていました。本当あの頃は勇気と闘争心がありました。今はそればかりでも上手くいかず、やはりどこかでごまかして許すところもなければ死んでしまうと言うこともわかりましたが。
さて教会の話から挨拶の話へすすんできましたが、今日の教会でも二、三ときめきがありました。スタッフの女でやたら僕の前を横切る女がいるのです。その人には依然僕のほうからメールでラブレターを書いたのですが、「私は神に献身するつもりです。だから今後もうメールをしてこないでください。」と言う返事を受け取った経緯がある女でした。しかしそれを良い方に解釈すると「もしあなたがクリスチャンとなり、神に仕えると約束してくれたら話は別ですが」と言う含みを持っていたのかもしれません。それとも単に僕の視線は女を感じさせるのに向いているゆえ、視線だけで感じさせて欲しかったのかもしれません。しかし僕は思うのですが、男は女を見て感じますが、女は男に見られて感じるのではないでしょうか。だから女はセックスアピールを感じる男を見つけると必ずその前を横切ります。だからその女性も僕の前でそういうことをするということはちょっとは僕に未練があって、仲直りしたがっているのかも知れません。しかし明日の一番大事な日曜礼拝には行きません。僕は神戸へ行って書き物をしているほうが楽しい。その楽しさに比べたらその子の魅力も色あせます。その子に対してはちょっとかわいそうですが、僕は神戸を選びます。ちなみに教会は西宮にあります。
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2005.10.11 Tuesday
英語学習
今日も休みでした。昨日からやり始めている英作文の勉強、やり始めのせいでもあるでしょうが楽しくて仕方ありません。時制を決めるとか、接続詞の使い方など全部で三十項目ある課程をもうすでに二十項目ほど終えました。ただ全部の問題を解いたわけではなく、例文を答えを見ないでノートに書いて解いたのでした。これが終わり次第類似問題を解いて仕上げようと思います。その問題集の難易度は短大、一般校向きの初級、中級程度のものです。しかし僕にしたら難しい。その問題の作り方もそのタイトルの領域だけではなく、それ以外にも英語独特の言い回しなど、頭をひねって答えねば正解できない凝った問題になっています。逆に考えてみれば単に英語が長けるだけでなく、創造性まで鍛える頭の体操にもなります。だからなおさら英語が上達するだけでなく、陶冶的学習(表面上学習していることのみならず、潜在的に育成している学習効果をさす)もしているようで大変楽しく行っています。さて今からまた取り組もうと思います。
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2005.10.10 Monday
英語学習
僕は今日も休みの一日。一人で神戸へ出かけてました。いつものごとく喫茶店で書き物をしたり、新聞のノート整理したりしていたのですがふと無性に英語が勉強したくなって来ました。早速問題集を本屋に買いに行こうと思って財布を見たらそれを買うだけの持ち合わせはありませんでした。仕方ないので早めに家へ帰って本棚を探していると以前に買ったやりさしの問題集が出てきました。文英堂から出ている「大学入試を三十時間で総チェック」というタイトルの英作文版です。難易度は短大や一般校向けの標準よりやや劣るレベルのものです。しかし長い間やっていなかったので、英語独得の物を主語におく文体も忘れていて四苦八苦しました。しかしどんな教科でもそうですが、解けたら面白いものでつい夢中になって五、六ページ進みました。それから大事なトピックセンテンスやキーワードを前におく英語独特のの言い回しに、日本語で書く文章自体も影響を受けて新鮮なものを書けないかなと思っています。しかし勉強っていいものですね。向上心があればいつまでも興味を喚起してくれる代物です。若い頃勉強してないと大人になって仕事に終われしたくても出来なくて後悔するって言うのは本当ですね。僕の場合は若い頃大学院を目指していたぐらいによく勉強していたのですがそれでも未練があります。とりあえずこの問題集を一通りやり、次のステップへ移るかどうか判断してみようと思います。
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2005.10.09 Sunday
神戸カフェ
こんばんわ。今日も僕は神戸で過ごしました。八時前に家を出て阪神西大阪線伝法から電車に乗り、三宮へと向かいました。そして八時半ごろに到着.阪急三宮西口のドトールへと向かいました。そこで一杯百八十円のアイスコーヒーのショートサイズを注文し、二階の喫煙席に陣取りました。そして駅で買った神戸新聞を広げ、読みながらアンダーラインを引っ張り、ノートに整理しました。それと自分なりの文章創作を書くこと二時間超やってました。
さてそこでよく顔を会わし、ちょうど僕の真向かいに座る女性がいます。年齢は三十代か四十代で僕と同じぐらいの年恰好をした女性です。「よく会いますね」と何か一言声をかけて知り合いになりたいのですがどうもその勇気が出ません。決して美人ではありませんが、懸命に物を書く僕の姿が気になるのか、僕が顔を上げたときよく目が合います。僕の頭のてっぺんの髪の毛の薄さに気づいているのでしょう。自分と同じぐらいの年だというのはわかっていると思います。しかし僕と目を合わす時何か意味ありげなまなざしを送ってくるので、僕のことを気にしているのかもしれません。どうすればいいのでしょうか。トイレの時などより接近したときに一声かけたらいいのでしょうか。しかし年も年なのでもう既婚者かもしれません。そのときは声をかけたりなどしたら向こうも困るかもしれません。迷うところです。そしてもう一人ウエイトレスでテーブルを拭きに来たとき、何ヶ月か前に顔を見て以来見てなかったので、「何ヶ月か前に勤めてなかった?」って声をかけたウエイトレスがいます。そのときはその子が軽く「はい」と微笑んで終わったのですが、僕はそのことをすっかり忘れていました。そしてこないだセルフカウンター越しに、僕が注文を待っていたとき、向こうから軽く会釈して来ました。はじめどういうことだろうとぽかんと口を開けたままあっけに取られていました。そういえばその前記したようなことがあったようななかったような、それで会釈したのか。工藤静香の歌の「不実」と同じく、「不実です 始めてあったような不思議顔 私は街角ピエロ」という対応をしてしまったのです。今度接近して声をかけれる時は、僕のほうから「この前礼してくれたけど、以前に何か僕話しかけたことあったかな?」と聞いてみようと思います。それがきっかけでまた会えば話かけれる仲になるかもしれません。今のところ彼女のいない僕がツバ付けているのはこの二人です。またこういう出会いがあるのも神戸ならでわだと思っています。僕が神戸の喫茶店を思い作った歌を紹介します。
神戸CAFÉ讃歌
バンババン
日本のcafé shop history 神戸に始まったという
UCCにネスレ、萩原と コーヒーメーカー目白押し
昨今ドトール、スタバにサンマルク 若向けcafé続々
そのあおりうけ かなり通ったなじみの店も消えた
そこで書き物をした 履歴書、年賀状、ラブレター
僕の思い出の中に 今もなおその店の灯は消えちゃいない
そこのウエイトレス どこかの空の下笑顔作ってるかな。
ビバ神戸café その賑わいいつまでも
疲れた僕たち癒しておくれ
アメリカ人はcoffee、イギリス人はteaを好む
日本はアメリカナイズ しかし悪い意味ではない
coffeeはストレスを解消し 想像力を高めてくれる
そして店が流行るには 味以上のプラスアルファが必要
会話だとか読書、書き物 にそぐった店内のこだわり
図書館のように静かでない分 賑わいの中何かに集中
ハイカラな神戸っ子は 洒落たcaféでの時間がお好き
ビバ神戸café そのアカデミック、いつまでも
疲れた人々癒しておくれ
ビバ神戸café その品格、永遠に
我々の夢育んでおくれ
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2005.10.03 Monday
作業所の行事
今日は何の変哲もない作業所での一日に終わりました。今日の作業は、消しゴムの箱詰めとワープロの部品である小さな金具への、ローラーと言ってくるくる回る白いプラスチックの部品の組み込みでした。今日は僕の病状である幻聴は聞こえず、まずまずよく出来た一日でした。途中昼からの就業時間が始まっててから、今月のレクエーションを何にするかのミーティングが行われました。その中で夜のレクエーションとして作業所でたこ焼き作りが提案され決定しました。それから今月の大阪探険は平野区に決まりました。これは前にも言いましたが、毎月探険する区をくじで引き、その区の中で指導員さんが選んだ公共性のある建物や名所をラリー形式で探して散策するというものです。それはたとえば地図上に第一ポイントと記されてあって、「その何々公園の中にある動物(○○○)がいます。その名称を書き込みなさい。」というような指示が書いてあります。それは公園によくある子供が乗って遊ぶパンダの石のオブジェを指し、パンダと○○○の中に記入します。という風な調子にそんな指令が十ポイントぐらい用意されていて、一時間から二時間で回れるぐらいの範囲で地図が作られてあります。初めのうちは簡単でしたが僕らが要領を覚えだしたので、指導員さんたちも頭をひねってだんだんと難解なものになっていってます。ほんと僕達精神的に傷ついた者にとって、この作業所グリーンハウスは職場であると同時に駆け込み寺であり憩いの場所でもあります。
さて明日は他の作業所さんと合同でソフトバレーボール大会があります。僕は腰を痛めているため出場はしませんが、他のみんなは元気にプレーして楽しんでくれればこちらまで楽しくなります。
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2005.10.02 Sunday
視力回復
今日もいつもの休みの日と同じく、神戸で過ごしました。さて僕は視力回復を行っています。本を読めばいろんな方法が語られていますが、僕が試してみてこれはと思うのはなんと言ってもウォーキングです。特に風光明媚な神戸の街を徘徊しつつ正しい歩き方でいろんなものを眺めていると、目がよくなっていく感覚を覚えます。正しい歩き方というのは僕流に言わせると、やや前傾に体を倒して、足の裏はまずかかとの外側から着地して、つま先の内側へと体重移動して後ろへ蹴る、必要以上に上下動をしないスムースな歩き方です。これが出来ると視界もずいぶん変わって来て、遠くの景色が見え出してくるようになります。僕は以前は視力0.2でメガネをかけていましたが、これをやりだしてから裸眼で物を見れるようになりました。何しろメガネではなく裸眼で物体がはっきりと見えたときの感動というのは、何にもましてうれしいものです。本当にリスクを伴わずに視力を回復できる手術を発明したらノーベル賞ものやとメガネ屋の店員も言ってました。一時マスコミをにぎわしたRPK手術も保険が適用されずいつの間にか消えていったのは、やはり傷口が閉じていくとともに視力もまた元に戻っていくなどの問題があったのでしょう。確かに0.2のものが1.0になるということは不可能かもしれません。しかし日常生活には不自由しないという0.4にあがっただけでもずいぶん違うものです。メガネの一番のリスクは何かというと、やはり大学の講義で言えば前のほうの席に行かず後ろのほうで人ごみに隠れて、漁夫の利を得ようするなどの目立つことを避けて性格が歪むことです。もちろんメガネを利用している人の中にも勇気ある人はいるかもしれませんが、傾向としてそうなりがちです。いわばメガネをはずして後ろじゃ見えないから一番前の席に座って板書しようという勇気ある人間を大阪流に言うと「アホヤ」と排除してゆきます。いわば今の現代日本の社会体制は視力回復を疎外する方向で進んできています。いわばあらゆるところで目が悪いというのは、社会的失敗者として疎外されるのです。さっきも言いましたが、視力回復を行うなんて「あほ」か「バカ」なのです。しかし梶原一騎原作で、極真空手を創始した大山倍達のことをつづった「空手バカ一代」という漫画があります。これは大山倍達が自分の中の他のものみな投げ打って空手一筋に生きた生き様を人が見て空手バカと称したところからとったものです。僕もこのバカをお借りし、この視力回復に取り組みたいと思っています。何をこの男そこまでして視力回復などというはやりもしないことをやりたがるのかという疑問をもたれるかも知れません。しかしもちろん僕なりにそれで信じられないほどな感動と喜びを体験したからに他なりません。今メガネやコンタクトをしている皆さん、一度騙されたと思ってそれらなしに外を歩いてみてください。ちょっとした何かのきっかけで良く見えて、こいつの言っていたことはこれかなという体験をもったら楽しいものですよ。まあまだ僕の文章力では読者の皆さんを説得するだけの力はないかもしれません。またこのことについて機会があれば言及してみます。
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2005.10.01 Saturday
大阪探険ー天王寺区編
昨日は月に一回の作業所の行事である大阪市内の区を一つ選んで、指導員さんが選んだポイントをラリー形式で回って探険するという催しに参加しました。今月は天王寺区でした。その中で天王寺七坂という七つの坂を地図頼りに一つ一つ巡っていって、最後通天閣の下までたどり着くというものでした。朝十時半に出発したのですが、異常気象ともいえる暑さでみんな汗を流しながら、迷い迷いして一時間半ほどで無事回ることが出来ました。七坂の全容は、真言坂、源聖寺坂、口縄坂,愛染坂、清水坂、天神坂、逢坂の七つでした。このラリーを前日の日に一度は問題を作り作り回り、時間や距離を測ってもう一周したという指導員さんの情熱と愛情に頭が下がりました。仕事だから仕方ないと思う人もいるかもしれませんが、三十一と二十七の若い指導員さんで、福祉に対して相当の熱意と僕達に対する愛情がなかったら出きないことだと思います。そして最後通天閣の最上階にも登り、大阪の町を一望しました。近いところでは天王寺動物園、天王寺駅前の近鉄とMIO(そこでぼくはあれをミオとしょうむない親父ギャグを飛ばして顰蹙を買いましたが)がみえ、そして西の南港のATCにあるコスモタワーが高くそびえ、目をもう少し北に転ずると六甲連山の塊が眺められ、弁天町駅前のオーク200が太陽に輝いてひときわ高く見えました。何しろその日の暑さといったらたまらず、僕は最上階で百二十円のソフトクリームを買い、なめしゃぶりながら展望を楽しみました。
ほんとこの探険三月から始まって今月九月で七回目。最初はみんなでぞろぞろ指導員さんに連れられて何にも考えずに名所を巡ったのですが、このラリー形式になってグーンと自主性が高まり、地図を見る能力がつきました。指導員さんたちはほんと良いことを考え出してくれました。また今月もミーティングでどの区になるかわかりませんが、指導員さんたちの趣向を凝らしたラリー楽しみにしています。
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