2005.10.19 Wednesday
小泉首相対前原代表
今日は小泉首相と民主党の前原代表の党首討論がありました。前原代表が首相が靖国参拝を行ったことにより、中韓の外交情勢が一挙に壊れてしまった。それについて総理はどう責任を取るつもりかと突っ込みました。それに対し小泉総理は、この日本国のために命を捧げて戦った人々をあがめ、今後もう絶対にこのようなことはしないと言う不戦の誓いをしたこと。そしてもう一つ憲法に思想、信条の自由と言うものがあり、一国民として哀悼をささげることをだめだと言うのは、それに反する行為ではありませんかと応酬しました。そして途中前原代表が小泉首相がポケットから賽銭を取り出し放り投げる様子を見ているとこっけいに見えたと茶化しました。確かに党首会談。相手の言うことに感心してはディベートにはならない故、ある程度相手が年上であろうが敵対することは仕方ないこともかもしれません。しかし前原代表のへらへら薄笑いをする表情は、何か温かい情熱を感じる小泉首相に対し、よく言えばニヒルですが悪く取ったら言動に困っている弱者(首相)を軽蔑の目で差別し、あざ笑う若造と言う感を持ちました。確かに首相ももう少し中国や韓国の反日情勢が下火になってから晴れて行えばよかったのにとも思います。しかし一年に一回、総理大臣になる前の議員の時代から続けてきたことゆえ,もしそれを中韓外交への迎合のため取りやめにしたとなれば、これまで積み上げてきた自分自身の過去まで否定することになりかねないとの思いなのでしょう。とにかくわが政治方針を曲げられるぐらいなら、殺されたてかまわないと言わんばかりの人ゆえ、あまりにもの反発や茶化し中傷のためにかっかして健康を害さないことを祈るばかりです。そして僕は小泉首相に現代のヒロイズムを見ます。それになれぬものは周りから雑魚のごとくごちゃごちゃ言ってねたみうらやむ。しかし「誰が知ろう。百尺下の水の心を。水の深さを。」これは吉川栄治著の宮本武蔵のエンディングの言葉だが、まさにそれを彷彿させる今の政治状況です。みな小泉首相のイエスマンとなって、独裁に走ることが恐いと言う。しかしリーダーシップを発揮できずにお互い批判ばかりして、何にも決まらない烏合の衆と化すことはそれと同じぐらいか、それ以上に恐いのではないでしょうか。僕は少々リーダーがワンマンでも、衆をまとめ統治できる人がその地位に就いたほうが今の日本にはちょうどよいのではないかと思う。
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