バンババン

文章だったらそこそこの
ものを書けるのですが、
やれ画像やレイアウトの美
的感覚はゼロなので、これ
から向上してゆきたいと思
います。
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性の昇華
 今日は病院仲間の後輩と会ってました。まず阪神三宮で待ち合わせしフラワーロードを下ってそれから西のハーバーランドに向かいました。しかし途中で雨模様の雲がやってきて薄暗くなり、これは降られると困るということで急遽元町のほうへ向かいました。そしてジャンカラに入りました。しかし僕らは普段から音楽を親しみ過ぎてるので歌わずに、その密室空間で語り合いました。その内容は片思いの女との仲はどうなっただとか、携帯で出会い系をやっているけど、ポイントが不足してこれ以上しゃべれなくなっただとかたわいもないことです。しかしその中にも将来どうするのかということまで真剣なまなざしになり語り合い、話題は多岐に渡ります。ほんと彼とは猥談などのバカ話はしますが、時にしてこれから将来の展望のこととなれば真剣なまなざしで語ってきて圧倒されます。そういうところは若いっていいなと思います。
 さて明日からまた作業所がよいです。また幻聴が襲ってくるでしょうがそれを何とか若さで乗り切って、くじけないようがんばります。またそういう悪による嫌がらせは、先週土曜日に買ったサンドバックを使うことによって発散し、より芸術的に昇華しようと思います。学生の頃から僕のスポーツに対する姿勢は常に性的な欲望の昇華という形で行ってきました。確かに時にはそういう欲望を処理するため自慰行為も必要でしょうが、いつもいつもそれでは困ります。時にはその悔しさや苦悩やジェラシィー、コンプレックスをバネにして昇華することが大切です。その辺のバランスをとって生活していけば安定した暮らしにつながると思います。
| バンババン | セックス論 | 22:05 | comments(0) | trackbacks(48) |
狼の牙
 今日は僕のことを思ってくれてる子と西宮の恵比寿神社に初詣に行った後、その近くのジャンカラに行きました。そのどこか連れて行って欲しいという誘いは僕のほうからでなくその子の方からでした。だから僕に惚れているのかなと思い、またその子も二十七の大人なので、そういう付き合いをしたいのかなと思って心を躍らせ部屋に入りました。ただ僕には前からいっているように狙っていうる子がいて、そのことをその子にも言い「付き合わないけどセックスフレンドならいいよ。」ってあらかじめ笑い混じりに言いました。そういうとさすがにその子も「ええっ」て言ってましたが、それでも「カラオケ行くか?」とたずねたら、「行きましょか」というので店に入ったのでした。そしていきなり男と女のラブゲームをデュエットして肩を組みました。ここで行かねばと思いその子をソファに押し倒しました。しかしその子は「そんなつもりじゃありません。お母ちゃんに怒られます。」と必死に抵抗しました。そうこうしているうちに、これは女が男に帰ってかわいく思わせるために言っている裏腹な言葉などではないと思い、かわいそうになって止めました。その子も自分が置かれている立場を今ひとつ理解してないのか、その後は少し座る位置を離してやや気まずくなりながらも六曲ぐらい歌って店を出ました。しかし僕の方も久しぶりの女のにおいとぬくもりに一物も反応し、彼女が拒まなければ少なくとも服を緩めてペッテイングぐらいまではしたと思います。しかし女心というのはわからないものですね。「本当はしても良かったのかしら。」と彼女が後から回想しているのなら、僕のリードが下手だということになる。ただあのときの「お母ちゃんに怒られる」というやや涙腺の緩んだ叫び。あれは「いやいやもいいのうちなんて男が考える幻想ではなく、何かほんとうだったような気がします。あの時止めてて良かった思います。しかし僕はぶっちゃけた話し、風俗の女以外に体の関係を持ったことがなく、是非素人のこと一度やってみたいという願望があります。それなら狙っている子と付き合ってやればいいじゃないのといわれるかもしれません。もちろんそうなのですがなかなか進展しない焦りを募らせているとき、今日の子からの誘いがあったので、つい狼の牙をむいてしまいました。さて今日の子はこれからどう出るのでしょう。とりあえず僕ももう一度狙っている子に的を絞りつつも,静観したいと思っています。
| バンババン | セックス論 | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
男の女へのいじめ
 今日は一人で神戸行ってました。いつものスケデュールをこなしたのですが、ウォーキングがうまく行きませんでした。またまた幻聴とめまいに悩まされました。しかしその後の御影の喫茶店で年賀状を書き、何とかめまいを治しました。
 それからノートへの書き物もしました。今日一つ思ったテーマは男の女へのいじめについてです。現在は女の時代、女のいじめというものはマゾな男とサドな女の増加で語られますが、男の女へのいじめというのはセクハラにされてしまいます。しかし果たしてそうでしょうか。僕には男の女へのいじめというものが性欲を沸かせます。長く続いた女の時代の女の男へのいじめというものはどこか形骸化しています。それによって男はオナニーは出来てもセックスにはつながりません。男の女への意地悪、いたづらなどは全てこのいじめ心に発しています。この男の女へのいじめ心。これを僕は持ちたいと思っています。それにはやはり女の上に立たねば無理かもしれません。とにかく男を挑発する女のいじめには飽きてきました。そこにまったくかつてのように男の抵抗がありません。それゆえ視線をぶらせて、男の目を悪くすることでしか意味を成していないのです。それに男の女へのいじめ、具体的に言うと女をその気にさせオナニーさせてしまうような男の振る舞いのようなことでしょうか。これはセクハラではありません。しかし女はそんなことを男に知られたら困るので、みなこれをセクハラといって攻撃してきます。しかしここです。男が踏み止どまなければならないところは。ここで踏みとどまる男が少ないため、現在は性情報が氾濫しているのとは裏腹にインポテンツ、不感症社会になっているのです。確かに男の女へのいじめ、これが度を越すと性的嫌がらせとなって、女を不快にさせてしまうのでしょう。しかし兎に角いまの時代何でもかんでも男の女へのコンタクトをセクハラにし過ぎです。過剰反応しています。とりわけ女社会の関西では女の目は厳しいものがあります。男の女に対するいじめは文化になっていないのかもしれません。女が見たり、聞いたりすると思わずオナニーしてしまうような男の文化。これを関西にも創造しなければいけないと思います。女にいじめられてばかりでは、男の面目もへったくれもありません。また男も生理的にむやみやたらに女をいじめたりするようには出来てないと思います。それでもセクハラが絶えないのは、やはり男と女の文化のどこかしらの歪みから来るのでしょう。やはり女が男を挑発して男の何をいきり立たせて、自分の魅力を誇示したいと思っているのと同じく、男も女ほどではないにしても、女に発破かけたり、挑発したりして夢中に、換言すればオナニーさせるほどの振舞をしたいと潜在的に思っています。しかしそれがまたまた女の男へのいじめ返しとなり、文化として認めてもらえないのが関西の恐いところでもあります。僕はこの新しい文化を創造したい。そのパイオニアになりたい。女にいじめられて、惨めにオナニーばかりをしている関西の男があまりにもかわいそうに思えます。それが関西の男女の仲だとすればあまりにも女中心の社会で、男の立つ瀬がありません。あまりにも男が惨めです。何とかこの関西にも女をしびれさせ、「あの男腹立つ」(標準語で言えば「あの男憎らしい」)と思わせるぐらいな文化を創造したいと思います。それが引いては女の幸せにもつながると信じています。
| バンババン | セックス論 | 20:38 | comments(0) | trackbacks(26) |
性の誤解
 今日も神戸へ出かけてました。そしていつものスケデューるをこなしてました。今日取り立てて書いてみたいと思うことは、やはり御影の喫茶店でのことでしょうか。そこで今日は思いっきり性について文章を書き、思索にふけってました。そこで思ったことは、最近エロ本やAVビデオの氾濫のおかげで性というものが歪んでいるのではないかということです。AVではGスポット攻めの潮吹きに、クリトリス攻め、そして四十八手のテクニックの紹介など、性の情報のオンパレードです。しかしそれとは裏腹に一方でインポテンツや不感症が増えている現実はどう考えたらいいのでしょうか?僕が思うに一つは穴やクリトリス攻めなどそういうスポットばかり強調されて、女の性器全部を弄り回すとか、もみし抱くとか、さわりまくるとか、舐めまわすとかすることがおろそかにされているのではと思います。まず何にもまして男が女の性器を責めて男と女互いに共感理解し会って、時には意地悪したり、笑いころげたりして雰囲気を盛り上げることが大切です。ところがいまのセックスは膣に指を入れてぬらすことばかりを考えています。それでは女は痛いばかりでちっとも気持ちよくならないと思います。むしろ穴は最後なのです。その辺を性情報の氾濫は誤解させています。このことを思いつくまで、こんなえらそうなことを言っている僕も決して例外ではありませんでした。変化といえばお尻の穴をなめることぐらいでした。こう考えてみるとセックスにも独創性というものが快感の度合いを高める重要な鍵を握っているものと思われます。このことを思いついたのは、僕には一つ下の弟がいて、彼に僕は小さい頃ほっぺたがかわいくてほっぺたばかり触り、いくら嫌がっても止めませんでした。そのことはいじめているように見えて実際はかわいがっているという感情を彷彿させてくれました。そして弟も僕と親がいて注意されるためほっぺたを触れない位置関係にいるとき、盛んに「ベロベロバー」をしたりして、「ほっぺたを触れないだろ」とかわいい挑発をしてくるのです。それを見てどうしようもなく『こいつ』とかわいくてかわいくて仕方ないもどかしさを味わいました。それは男と男、年上と年下、兄と弟ですが、男と女の性の駆け引きのときのもどかしさとよく似ています。このことを最近思い出しているとセックスにおける独創性の考えにいたったのです。以前いまのように性の情報が氾濫していないときは確かにテクニックなどは乏しく単純なセックスが多かったかもしれません。しかしいまのようにインポテンツや不感症で悩む人間も少なかったということは、一概にいまの方が性文化が花開いているとはいえないのではと思えます。特にいまはやはり女性上位で昔はそんなことをすることは女としてはしたないと思われていたことを、いまの女性はサービス精神旺盛でするゆえ、女性上位のセックスは確かに花開いているのかも知れません。しかしそれもやはりサブセックスであって、「本当は男に責められたい。女ですもの。」と僕が通った風俗嬢も言ってました。ただそれじゃAV男優はみな独創的セックスをしているのかとなると僕もいまのところわかりません。しかしAVを見て自慰行為をするときに、AV女優ばかりでなく、そのAV男優の女をいかすテクニックの上手下手で興奮度も違ってくることも確かです。さていくら表現の自由が保障されているからといって、過激すぎたでしょうか。まあみんなが最も興味津々なところなのに一般的にはタブー視されているというこのパラドクス。そこがまた不思議ですよね。
| バンババン | セックス論 | 20:28 | comments(0) | trackbacks(48) |


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