2005.12.27 Tuesday
男女の間のいじめの考察
今日はこれからいつもの通り神戸へ行こうと思います。あの狙っているウエイトレスの娘、いるでしょうか。何しろこないだ「一緒にお茶でも飲みに行きませんか」と誘い、そして「また来るから考えといて」といった手前、今度会うときが勝負といえば勝負です。果たしていい返事くれるでしょうか。断られたときのことを思うと、今日はいないほうがいいのにと弱気になったりします。しかし「当って砕けろ」ですよね。たとえ振られても「それじゃ他の男と幸せになってください。」とかっこつけて立ち去ればいいんですよね。しかし思えば僕も何人の女性に告白し、ふられたんでしょう。二つの指以上行っているかも知れません。しかしそれぞれに思い出もあって、それはそれでよかったかもしれません。しかし今度こそ近藤マッチの「純情物語」の歌詞じゃありませんが、「最後の女になってくれよ」と叫びたいものです。
さて神戸から帰ってきました。行きつけの喫茶店へ行ったのですが、彼女はいませんでした。また明日か明後日に勝負は持ち越されました。何かほっとしたというか、断られるかもしれないという不安から解放されて胸をなで下ろした気分でもあります。しかしめそめそとしていてはいけません。もっとそれが空のそれであっても元気を出して力強く、次の一歩を踏み出さなければなりません。彼女とセックスしたい。そして思いっきりかわいがってあげたい。それどころか彼女がもういいっていっても許さず、いたぶるぐらい激しく迫りたい。この前書きましたが、女をいじめるぐらいの激しいセックスをしたい。男に対する女のいじめはもう飽きた。これからは男がもっと女をいじめて感じさせてやるべきです。特にこの関西というのは、女上位、かかあ殿下で女が男のプライドを踏みにじって、女が男をいたぶる色彩が強いように思えます。それゆえに男が女をいじめてセックスするという文化は関東ほど発達していないように思えます。具体的に言えば、郷ひろみの歌う最中のダンスというか振り付けは、明らかに女をしびれさせ、その性をいじめます。また水木一郎の正義や愛や勇気や犠牲を歌うアニソンは女ばかりではなく男をもしびれさせます。このような女をしびれさせ、性的にいたぶり、いじめるような文化。これを関西でも創造しなければいけません。僕も彼女をその標的にしたいと思います。女は男にやさしさを求めます。しかしモーニング娘の「色っぽい、じれったい」の中のフレーズに「やさしくされりゃうれしいけど、限りなく求めちゃう」というものがあります。極端に言うとやさしくなくても、自分をセックスで行かせてしまうという男のほうを女は選ぶ場合もあるのです。セックスの強い男には、単に性欲絶倫というだけではなく、男として人間として何らかの卓越性があることを女は暗黙のうちに認めるのでしょう。やさしいだけではなくそれにプラスアルファが必要だと思います。その中でとりわけ魅力的なのが、意地悪やいたづら精神だと思います。これは基をただせばいじめ心からきていると思います。いじめといえばみな悪い感情のように思われですが、人を不幸にするいじめではなく、幸せにするいじめもあると思います。僕はこれをこの大阪で広めたい。そしてそのパイオニアになりたいと思います。いじめいじめといいますが、僕にはそこに男のロマンがあります。関西女にはわからないのでしょうか。いやわからないというより、彼女達は男にロマンだといってかっこつけさせるのが腹立つのかもしれません。残念ながら関西の女の男に対する認識はこんなものです。「男にええかっこされたら腹立つんじゃ」と思う女も多いのでしょう。女の本音を持ち出すとこうなります。それゆえ関西男はもっとがんばらねばなりません。いままでえらばって来た女をギャフンと言わすためにも。僕も冒頭で言った今度出来るかもしれない彼女に、言って聞かせて納得させようと思います。そのことが彼女をもっとも幸せにする方法だと信じています。 |