2006.04.17 Monday
神戸と大阪の違い
大阪と神戸の違い。果たしてどこにあるのか。ぼくはもっぱらの神戸派である。とにかく神戸の女は美しい。それは何に起因しているのか。やはり男を挑発するのにも男の目の健康を考えていてくれる。大阪の女とはそこが正反対に違う。とにかく大阪の女というのは男を挑発するときに、男の目が悪くなるということを一切考えない。男の目を潰すようなことを平気でする。それは言ってみれば男を感じさせる挑発どころか、男の目を破壊する嫌がらせ以外のなにものでもない。確かに譲って僕が目が悪く、目がよい男ならそれを事前に避けれるということが出来るのかも知れない。では目が悪い男というのは大阪では成功できぬというのだろうか。とにかく大阪の女というのは男の目がつぶれようがどうなろうが平気のへいさである。確かにそれは時には男のせんずりのえさになることもある。しかしそれは愛にはならない。大阪人は性というのはもっとよく熟慮すべきである。その点神戸は確かにそういう男の目に配慮するという回りくどいことをするせいか、何かセックスには淡白のようにも感じる。しかし大阪のセックスは欲求不満を解消するだけの虚無を生じさせる。そうでない人間もいるのであろうか。しかしどう考えても大阪の男は目を潰されている。大阪の女のせいである。そしてそれはいくらレイプというのは犯罪だということを叫んでも、レイプがまかり通ってしまう土壌を生むことになる。レイプとは女がその気でないのに男の自分中心の欲望を満たすために、セックスを強要することである。それを大阪では女のほうも男がそんなこと微塵もして欲しくないのに、男の視線を横切り目を潰すという逆レイプをしている。レイプというものは後々に女にも男にもトラウマ(心的外傷)を与え、男不信、女不信に陥らせる。そして結局は男にも女にも感謝の心など微塵も感じない、男を女を騙して平気な顔をする男と女を増加させることになるのだ。大阪は神戸を単にかっこつけのいいとこの人間と軽んじず、もっとその精神まで追及するべきだ。さもなくば大阪はほんとしょうむない、男女の文化が花咲かぬ不毛の町と化してしまう。大阪の女ばかり責めたが、大阪の男も女以上の本当の幸せへの執着を持って女の男へのレイプ(セクハラともいえる)をなくすべく地道に訴えて行くべきである。神戸を礼賛し大阪をけなしてしまったが、神戸を知る大阪の住民として何とか神戸のような幸せを大阪でも体験したいゆえ言及してみた。
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